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本来の表記は「戸沢正諶」です。この記事に付けられた題名は技術的な制限または記事名の制約により不正確なものとなっています。
この「戸沢正諶」の4文字目には、JIS X 0213:2004 で規定されている文字が含まれています(詳細)。

戸沢 正諶(とざわ まさのぶ)は、出羽新庄藩の第5代藩主。

 
戸沢 正諶
時代 江戸時代中期
生誕 享保5年(1720年
死没 明和2年9月20日1765年11月3日
別名 猪野七郎
戒名 智徳院仁山宗勇
墓所 東京都港区三田の常林寺瑞雲院
官位 従五位下、上総
幕府 江戸幕府
出羽国新庄藩
氏族 戸沢氏
父母 父:戸沢正庸、母:円成院
養父:戸沢正勝
兄弟 お虎、正賀正勝正諶庸祝正備正愛、はん、せの
正室:柳沢吉里の娘
正産正良、男、娘、娘(松平乗友正室、のち戸田忠喬正室)

生涯編集

享保5年(1720年)(異説として享保7年(1722年7月11日)、第3代藩主・正庸の四男として新庄で生まれる。元文2年(1737年)、父の隠居により兄の正勝家督を継ぐと、兄から7000石を与えられ、寄合衆に列せられた。延享2年(1745年8月13日、兄の養子となり、同年の兄の死去により家督を継いだ。10月18日に従五位下、上総介に叙任された。

宝暦5年(1755年)、積雪の被害で藩の被害が大きかったため、幕府から3000石を借用して再建費用に当てたが、そのために幕府から藩政が良くないとして、処罰としてしばらく出仕を止められた。明和2年(1765年)9月20日に死去した。享年46。跡を長男の正産が継いだ。

関連項目編集

  • 新庄祭
    宝暦6年(1756年)、領民に活気と希望を持たせると共に五穀豊穣を祈願するため、新庄城内の天満宮の祭典を領民挙げて行ったことが起源。