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宝暦の飢饉(ほうれきのききん)は、江戸時代宝暦4年(1754年)から宝暦7年(1757年)にかけて東北地方を襲った大飢饉。現在の岩手宮城の両県にわたる範囲で約5万ないし6万人の餓死犠牲者が出たとされる。

被害はそれだけにとどまらず、現在の青森県の一部を治めていた弘前藩領内では財政の立て直しをしたため餓死者は出なかったとも言われていたが、実際には多数の犠牲者がいたことが墓石調査により確認されている(弘前大学・関根達人教授(考古学)による)。