敦儀親王(あつのりしんのう、長徳3年5月19日997年6月26日[1] - 天喜2年7月11日1054年8月16日))は、平安時代中期の皇族三条天皇の第二皇子。官位三品式部卿岩蔵式部卿宮と号す。

経歴編集

寛弘8年(1011年)6月の父・三条天皇即位に伴い、10月に第三皇子の敦平とともに親王宣下を受ける。長和2年(1013年)3月に敦平親王とともに清涼殿の殿上において元服し、加冠役を藤原道長が務めた。三品に叙せられたのち、同年6月に中務卿に任じられる。

長和5年(1016年)三条天皇の譲位後に春宮に立ったものの不行跡が絶えない敦明親王を憂いた母后の娍子が、代わりに敦儀親王を皇嗣とすることを藤原実資に相談するが、驚いた実資は「族滅」を恐れて辞退している[2]。まもなく、道長の画策で敦明親王は春宮辞退へ追い込まれ、新春宮には道長の外孫・敦良親王が立ったため、皇統は三条天皇系から遠のいた。

後一条朝寛仁4年(1020年式部卿に転任する。同年には中納言藤原隆家の長女との結婚が決まるが、この結婚は藤原道長の不興を買い、婚儀は翌治安元年(1021年)2月に延期された[3]

長元元年(1028年)妃(隆家長女)と死別し[4]、長元3年(1030年)8月19日に大雲寺において出家法名悟覚、号は南泉房。出家後は岩蔵に住した。後冷泉朝天喜2年(1054年)7月11日薨去享年58。

官歴編集

脚注編集

  1. ^ a b c d 『小右記』
  2. ^ 小右記』長和5年正月24日条
  3. ^ 『小右記』寛仁4年10月23日条,治安元年2月1日条
  4. ^ 『小右記』長元元年8月27日条
  5. ^ 『権記』
  6. ^ 『御堂関白記』

参考文献編集

  • 『大日本史料』2編7冊
  • 日本紀略、権記、御堂関白記、小右記、小記目録、左経記、一代要記、百練抄、公卿補任、本朝皇胤紹運録、歴代編年集成、扶桑略記、大雲寺縁起

外部リンク編集