メインメニューを開く

文殊院西古墳(もんじゅいんにしこふん)は、奈良県桜井市阿部にある古墳。形状は円墳と推定される。国の特別史跡に指定されている。

文殊院西古墳
Monjuin Nishi Kofun, entrance-1.jpg
石室入り口
所在地 奈良県桜井市阿部645
安倍文殊院境内)
位置 北緯34度30分12.77秒
東経135度50分31.72秒
座標: 北緯34度30分12.77秒 東経135度50分31.72秒
形状 (推定)円墳
規模 直径25-30m
高さ6m
埋葬施設 両袖式横穴式石室
築造時期 7世紀後半
被葬者 (一説)阿倍倉梯麻呂
史跡 国の特別史跡「文殊院西古墳」
特記事項 精巧な切石石室
地図
文殊院西 古墳の位置(奈良県内)
文殊院西 古墳
文殊院西
古墳
テンプレートを表示

本項目では、文殊院西古墳の東にある文殊院東古墳(奈良県指定史跡)についても解説する。

概要編集

阿部丘陵の大型石室古墳
古墳名 築造時期 史跡
コロコロ山古墳 6c後半 なし
谷首古墳 6c末-7c初 県史跡
文殊院東古墳 7c前半 県史跡
艸墓古墳 7c中 国史跡
文殊院西古墳 7c後半 国特別史跡

奈良盆地南部、阿部丘陵の西端部に築造された古墳である[1]室町時代にはすでに開口したことが知られるほか、墳丘は削平を受けている[2]。これまでに発掘調査は実施されていない。

墳形は明らかでないが、直径約25-30メートル・高さ約6メートルの円墳と推定される[1]。墳丘表面で葺石埴輪は認められていない[3]。主体部の埋葬施設は切石の両袖式横穴式石室で、南方向に開口する[1]。玄室では磚状に研磨された花崗岩が5段に積み上げられて天井には巨大な1枚石を架し、羨道では巨石が1段積みで並列するほか、各所細部にも工夫が認められる石室になる。出土品は知られていない[3]

この文殊院西古墳は、古墳時代終末期7世紀後半頃の築造と推定される[1]。日本列島の横穴式石室のうちでは最も精巧な切石石室であるとして重要視される古墳である[2]。また阿部丘陵では巨石墳として本古墳のほかにも谷首古墳艸墓古墳などが知られるほか、周辺の遺跡では大型建物跡も検出されており、古代氏族の阿倍氏との関係性が指摘される。特に本古墳については阿倍氏の有力首長墓であることは確実で、被葬者を阿倍倉梯麻呂大化5年(649年)死去)とする説が有力視されている[2]

古墳域は1952年昭和27年)に国の特別史跡に指定されている[4]。現在では玄室に願掛け不動が祀られており、信仰対象となっている。

来歴編集

埋葬施設編集

 
石室 玄室

主体部の埋葬施設としては両袖式横穴式石室が構築されており、南方向に開口する。石室の規模は次の通り[1]

  • 石室全長:12.48メートル
  • 玄室:長さ5.1メートル、奥壁幅2.86メートル、高さ2.77メートル
  • 羨道:長さ7.39メートル、羨門幅2.1メートル、高さ1.97メートル

石室は花崗岩の切石を用いた整美なものである[1]。玄室は、奥壁・側壁とも幅70センチメートル・高さ60センチメートル程度同大の方形磚状石材の瓦目5段積みで、大きい壁石には刻みを入れて2石に見せかける工夫がなされる[1]。また壁面には漆喰が残存する[1]。天井石は1石であり、中央部はドーム状に浅く掘りくぼめられ、天井石にたまる水滴が棺上に落ちないように工夫されている[2][1]

羨道は、巨石4枚の1段積みであり、西側壁の1箇所には切組積みが認められる[1]。天井石は3枚で、入り口部の1石は1段高く構築される[1]。また床面には階段状の石が認められる[1]。羨道の入り口部は天井石・側壁に溝状の加工がなされており、扉状の閉塞施設の存在が推測される[2]

なお、安倍文殊院境内には玄室と同形の石が点在しており、本古墳とは別に同様の石室古墳が存在した可能性が示唆される[5]

文殊院東古墳編集

文殊院東古墳
 
石室入り口
別名 閼伽井窟
所在地 奈良県桜井市阿部645
安倍文殊院境内)
位置 北緯34度30分12.40秒
東経135度50分35.20秒
形状 不明
埋葬施設 両袖式横穴式石室
築造時期 7世紀前半
史跡 奈良県指定史跡「文殊院東古墳」
テンプレートを表示

文殊院東古墳(もんじゅいんひがしこふん)は、文殊院西古墳の東約50メートルにある古墳。形状は不明。奈良県指定史跡に指定されている。

阿部丘陵の斜面に築造された古墳である。古くから開口しており、江戸時代本居宣長の『菅笠日記』にも記述が見える[6]。これまでに発掘調査は実施されていない。

墳丘が大きく削平を受けているため墳形は明らかでないが、10-20メートル程度の円墳または方墳と推定される。主体部の埋葬施設は横穴式石室で、南方向に開口する[6]。石室の規模は次の通り[7]

  • 石室全長:10.3メートル
  • 玄室:長さ4.8メートル、幅2.2メートル、高さ2.4メートル
  • 羨道:長さ5.5メートル以上、幅1.8メートル、高さ1.7メートル

羨道前部が破壊されているため、石室の全体像は明らかでない[7]。文殊院西古墳とは異なり、石室の石材は花崗岩の自然石であるが、石の表面には切石技法による若干の加工が認められる[7]。壁面は玄室では奥壁2段積み・側壁2段積みであり、羨道では奥1段積み・入り口2段積みである[7]。出土品は知られていない[7]

築造時期は古墳時代終末期の7世紀前半頃と推定される[7]。現在では玄室に不動明王が祀られているほか、羨道には中央部に井戸が掘られて信仰対象となっている[6][7]

文化財編集

国の特別史跡編集

  • 文殊院西古墳 - 所有者は文殊院。1923年(大正12年)3月7日に国の史跡に指定、1952年(昭和27年)3月29日に国の特別史跡に指定[4]

奈良県指定文化財編集

  • 史跡
    • 文殊院東古墳 - 所有者は文殊院。1974年(昭和49年)3月26日指定[8]

現地情報編集

所在地

交通アクセス

周辺

脚注編集

参考文献編集

  • 史跡説明板
  • 事典類
    • 斎藤忠「阿部文殊院西古墳」『国史大辞典吉川弘文館
    • 猪熊兼勝「安倍文殊院西古墳」『日本大百科全書(ニッポニカ)』小学館
    • 日本歴史地名大系 30 奈良県の地名』平凡社、1981年。ISBN 4582490301
      • 「文殊院西古墳」「文殊院東古墳」
    • 日本古墳大辞典東京堂出版、1989年。ISBN 4490102607
      • 原田道雄「文殊院西古墳」清水眞一「文殊院東古墳」
    • 文殊院西古墳」『国指定史跡ガイド』講談社 - リンクは朝日新聞社コトバンク」。
  • その他
    • 「文殊院西・東古墳」『桜井の横穴式石室を訪ねて』桜井市文化財協会、2010年。

関連項目編集

外部リンク編集