斎藤季夫
斎藤 季夫(さいとう すえお、1935年〈昭和10年〉3月19日 - 2023年〈令和5年〉1月頃)は、NHKの元アナウンサー。
さいとう すえお 斎藤 季夫 | |
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プロフィール | |
出身地 | 東京都 |
生年月日 | 1935年3月19日 |
没年月日 | 2023年1月(87歳没) |
最終学歴 | 慶應義塾大学経済学部 |
勤務局 | NHK放送研修センター・日本語センター |
ジャンル | 報道番組 |
担当番組・活動 | |
経歴
編集青山学院高等部、慶應義塾大学経済学部卒業。大学では同級生に石原裕次郎がいた。1959年入局[1]、1993年に定年退職。
現役時代は『スタジオ102』、『NHKニュース(正午、午後7時)』など、報道番組のキャスターとしての出演が多かった。特に、1985年8月12日に起きた日本航空123便墜落事故翌日の生存者発見の第一報や、1989年1月7日の午前6時36分から10時過ぎまで昭和天皇の危篤、そして崩御の第一報を伝えた[2]。一方で『訪問インタビュー』ではその淡々とした語り口で好感を得た。
晩年は高齢のため放送の現場に立つ機会はなくなったものの、NHK放送研修センター・日本語センター所属アナウンサーとして企業・市民向け話し言葉講座などの講師を務めていた。
過去の出演番組
編集- スタジオ102 1977.3~1980.3
- いま、この人に(きき手)
- 訪問インタビュー
- NHKニュース (正午) 平日 1985.7~1989.3
- 日曜インタビュー(ききて)
- NHKニュース (午後7時) 平日 1989.4~1990.3
- 日曜美術館 日曜 1990年度~1994年度までの5年間担当。
- ラジオ深夜便(第2・4木曜日アンカー)
脚注
編集- ^ “Folder 1772857: Travel briefs, Japan 02 - NHK AND STUDIO 102” (1978年6月8日). 2020年2月4日閲覧。
- ^ 6 4最後の日 昭和から平成へ | 川端義明オフィシャルブログ「鎌倉から」Powered by Ameba
- ^ 川端義明 (2023年1月19日). “アナウンサーのいい時代の終焉”. 川端義明オフィシャルブログ「鎌倉から」Powered by Ameba. 2023年2月5日閲覧。