早春 (1956年の映画)
『早春』(そうしゅん)は、1956年(昭和31年)に公開された日本映画である。小津安二郎監督の第47作目。
早春 | |
---|---|
Early Spring | |
監督 | 小津安二郎 |
脚本 |
野田高梧 小津安二郎 |
製作 | 山内静夫 |
出演者 |
池部良 淡島千景 岸惠子 |
音楽 | 斎藤高順 |
撮影 | 厚田雄春 |
編集 | 浜村義康 |
配給 | 松竹 |
公開 |
![]() |
上映時間 | 144分 |
製作国 |
![]() |
言語 | 日本語 |
概要編集
東宝のスター俳優池部良と淡島千景を主演に、『君の名は』で一躍松竹の看板女優となった岸惠子を迎えて新味を出した作品。戦後からようやく立ち直りつつある東京を舞台に、若いサラリーマン夫婦の危機と再生、2人をめぐる人間模様を描く。池部と岸にとっては唯一出演した小津作品であり、同じようなキャストを使い続けた小津にとっては異例であった。
1947年(昭和22年)『長屋紳士録』から年1作ペースで映画を作り上げていた小津は、1953年に『東京物語』を完成。翌1954年8月、次回作の構想を練るべく、蓼科高原にある野田高梧の別荘(通称「雲呼荘」)に入った。同地で『早春』の着想を得たが、同年の9月以降、田中絹代の監督作『月は上りぬ』をめぐる騒動の中で田中を全面的にバックアップしたため、『月は上りぬ』は1955年1月の公開にこぎつけたが、小津の映画制作は進まなかった。1955年3月、茅ケ崎館で再び『早春』のシナリオに取り掛かって6月に完成。7月にロケハンを行い、8月に撮影に取り掛かった。12月29日に撮影を終え、1956年(昭和31年)1月29日に『早春』が公開された[1]。
小津にとって1954年・1955年は戦後初の制作空白期間となった。ちなみに、1956年の『早春』以降も、1962年の遺作『秋刀魚の味』まで基本的に年1本ペースが守られている。なお、1959年のみ『お早よう』『浮草』の2本が公開された。2時間24分という上映時間は、小津の現存作品では最長である(散逸作品も含めれば、1931年製作の『美人哀愁』が158分で最長である)。本作から、小津が私淑して戦後はともに仕事をした里見弴の息子、山内静夫が製作に名を連ねている。
あらすじ編集
東京蒲田の住宅地に暮らし、丸の内のオフィス(東亜耐火煉瓦)に電車通勤するサラリーマン正二(池部良)と妻昌子(淡島千景)は共働きであるが、子供を疫痢で失って以来、お互いにしっくりいかないものを感じていた。そんな中、正二は通勤仲間の1人である「キンギョ」こと金子千代(岸惠子)と、成り行きから一夜を共にしてしまう。2人の仲にただならぬものを感じた昌子は、正二を責めて家を出ていく。正二には部長から岡山県三石(映画では「姫路の先」とされる煉瓦工場)への転勤話が持ち出されていた。単身、そこに赴任した正二のあとを追って、ある日妻昌子が三石の社宅に来た。夫婦はそこでやり直すことを誓うのだった。高度経済成長前の東京のゆったりした風景のなかに、夫婦関係のデリカシー、サラリーマン生活の悲哀を描く。
スタッフ編集
出演者編集
作品データ編集
- 製作:松竹大船撮影所
- フォーマット:白黒・スタンダードサイズ(1.37:1)・モノラル
- 初回興行:
- 同時上映: