旭川オリンピック構想(あさひかわオリンピックこうそう)は、1998年冬季オリンピックの開催を北海道旭川市で目指していた構想。

概要

編集

佐々木秀世の次男・佐々木邦夫を中心とした旭川の47人の若手経済人により「旭川冬季オリンピック招致を考える会」を1984年に設立し、経済活性化や都市機能の充実を図るべく冬季オリンピック招致運動を開始[1]

会員1名をサラエボオリンピックに派遣し旭川より小規模な都市であるサラエボでの開催を目にしたことで自信がつき、その後1口につき月1000円の賛助会員を310口・一般署名11,700人を集め旭川市体育協会・旭川スキー連盟・旭川スケート連盟といった競技団体も賛同する形で「旭川冬季オリンピック招致期成会設立準備委員会」、旭川市・旭川商工会議所・旭川青年会議所・旭川市体育協会・市民団体による「旭川冬季オリンピック招致検討会」が結成され、当初は1996年大会の招致を目標としたが1996年大会の開催地を決定する1990年の第96次IOC総会が東京で開かれることとなり五輪憲章にて「総会開催国の都市は投票対象に含めない」との条文があったことから2000年以降の招致に順延する方針となり[1]、その後は夏冬の開催年分離の方針に転換した事を受け1998年大会の招致へ動くこととなった。

旭川での開催の利点として風が少ない気候で良質な自然雪があることや、冬季五輪の開催実績のある北方圏諸国との交流があること、FISワールドカップ富良野大会・国際バーサースキー大会などの国際大会の開催実績があることを挙げていた[2]

最終的に1988年日本オリンピック委員会(JOC)の国内候補地選定で長野市長野オリンピック)に敗れたため、開催は実現しなかった。1998年冬季オリンピック招致運動は旭川市のほか、盛岡市山形市でも行われた。

招致運動の経緯

編集

大会の概要

編集

旭川市内のほか鷹栖町富良野市にも競技場を置き、1998年2月7日から22日までの16日間に7競技63種目を実施する計画であった。

経費として、競技施設建設費750億円、関連設備整備費871億円、運営費300億円、準備費40億円の計1961億円を試算していた。

実施予定種目

編集

予定会場

編集
  • アルペンスキー - 富良野スキー場富良野市、既設)
  • クロスカントリースキー - 旭川競馬場及び周辺コース(旭川市神居町上雨紛、既存改修)、富沢クロスカントリーコース(練習用、既設)
  • スキージャンプ - 嵐山ジャンプ競技場鷹栖町嵐山公園、既存を全面改築)
  • フリースタイルスキー - カムイスキーリンクス(旭川市神居町西岡、既設)
  • スピードスケート - 近文公園屋内スピードスケート競技場(旭川市花咲町、新設)、近文公園陸上競技場仮設リンク(旭川市花咲町、練習用)
  • ショートトラックスピードスケート - 西神楽オリンピック公園内STS会場(旭川市西神楽6号、7号、新設)
  • フィギュアスケート - 大雪アリーナ(旭川市神楽4条7丁目、既設)、常盤公園体育館(旭川市常盤公園、練習用、新設)
  • アイスホッケー - 西神楽オリンピック公園内アイスホッケーA、C会場(旭川市西神楽6号、7号、新設)、忠和公園アイスホッケーB会場(旭川市神居町忠和、新設)
  • バイアスロン - 江丹別バイアスロン競技場(旭川市江丹別町拓北)
  • ボブスレー・リュージュ - 富岡ボブスレー・リュージュ競技場(旭川市神居町富岡旭川サンバレースキー場隣接地、新設)
  • カーリング - 西神楽オリンピック公園内カーリング会場(旭川市西神楽6号、7号、新設)
  • 選手村 - (旭川市西神楽6号、7号、新設)

参考文献

編集
  • オリンピック冬季競技大会(1998年)開催概要計画書(旭川市、1987年発行)旭川市中央図書館
  • オリンピック冬季競技大会(第18回)旭川招致に関する経過報告書(オリンピック冬季競技大会旭川推進委員会、1988年9月発行)旭川市中央図書館

出典

編集
  1. ^ a b 財界パトロール 見込み薄の旭川冬季五輪 五輪憲章で二千年以降に - 財界さっぽろ1986年8月号(財界さっぽろ)30頁
  2. ^ a b 1998年冬季オリンピック招致に立候補した旭川ルポ アサヒカワは燃えているか! - ザホッカイドウ・マガジン212 CLUB創刊ゼロ号(弐壱弐研究所 1988年2月)124-125頁

関連項目

編集