星野 唯三(ほしの ゆいぞう、1882年1月18日 - 1967年1月3日)は、日本経営者。第3代日清製粉代表取締役社長

経歴 編集

群馬県館林町酒造家の次男として生まれる。学業優秀で、終始首席を占め[1]1904年東京高等商業学校(現一橋大学)を卒業した[2]

同級生に佐藤尚武(元参議院議長)、向井忠晴(元三井物産会長)、梁瀬長太郎ヤナセ創業者)、橋本万之介(元東北配電総裁)、前田幸太郎(元横浜市立大学学長)、斎藤浩介(元日立精機社長)、堀文平(元富士紡績社長)などがいた[3]

京都の大実業家の養子となることとなっていたが、兄が急逝したため生家を継ぎ[1]、正田氏ほか館林の有力実業家の推挙を受け[1]日清製粉館林工場支配人[4]、小泉銀行監査役などを務めた[5]

1919年臨時株主総会で日清製粉取締役に選任され、1924年常務取締役に昇格。1933年定款変更により代表取締役3名制となったことに伴い正田貞一郎らとともに代表取締役に就任[6]

1936年、日清製粉専務取締役1940年に定款変更により社長制がとられ、取締役社長に就任[6]1942年中央食糧営団理事[7]1947年、日清製粉取締役を辞任し、監査役に就任。1956年、監査役を辞任し、顧問に就任[6]

脚注 編集

  1. ^ a b c 群馬県の代表的人物並事業
  2. ^ 星野唯三 (第8版 [昭和3(1928)年7月 の情報)]日本研究のための歴史情報『人事興信録』データベース
  3. ^ 私の七十年ヤナセ
  4. ^ 群馬県邑楽郡案内誌
  5. ^ 官報 1913年08月09日
  6. ^ a b c 日清製粉(株)『日清製粉株式会社七十年史』(1970.08)
  7. ^ 官報 1942年09月02日
先代
正田貞一郎
日清製粉社長
1940年 - 1945年
次代
正田英三郎