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木元邦之

木元 邦之(きもと くにゆき、1978年10月7日 - )は、京都府京都市南区出身の元プロ野球選手内野手)。

木元 邦之
OB-Kuniyuki-Kimoto.jpg
オリックス・バファローズ時代
2009年8月4日、阪神鳴尾浜球場
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 京都府京都市南区
生年月日 (1978-10-07) 1978年10月7日(40歳)
身長
体重
183 cm
85 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 二塁手一塁手三塁手
プロ入り 2000年 ドラフト2位(逆指名)
初出場 2002年3月30日
最終出場 2008年4月26日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

目次

経歴編集

プロ入り前編集

龍谷大学では関西六大学リーグで通算82試合出場、304打数102安打、打率.336、9本塁打、64打点。2000年秋季のリーグ戦では打率.474、2本塁打、15打点を記録し、史上5人目、6度目の三冠王になる。1年生秋から7季連続ベストナイン受賞もリーグ記録である。2000年ドラフト2位(逆指名)で日本ハムファイターズに入団。

日本ハム時代編集

2年目の2002年大島康徳監督(当時)に打撃を買われ、開幕戦で金子誠を押しのけ二塁手で先発出場し、一軍に定着。奈良原浩や金子と併用されて87試合に出場し、7本塁打を打った。

2003年は春先に故障で出遅れ規定打席には届かなかったが、主に一塁手三塁手として自身初の打率3割、14本塁打、8盗塁を記録。シーズン終盤には4番も任された。

2004年は、4月は5番、5・6月は6番、7・8月は8番、9月は坪井智哉新庄剛志に代わって2番と打順が一定しない中で、前半戦は不振も後半戦持ち直して打率.285、9本塁打を打ち、初めて規定打席に到達した。パ・リーグ・プレーオフ第1ステージ(西武ライオンズ戦)・第3戦(10月3日)で西武の先発投手が左腕の帆足和幸だったためスターティングメンバーから外され、その事に納得が行かずロッカーで暴れていた木元を新庄剛志が「良い場面で絶対にお前に回してやる。だから準備はしてろよ」と励ました。その試合に木元は途中出場し、9回表にクローザー豊田清から同点2ラン本塁打を放った。「あの時に励まされたから打てた。つーさん(新庄)には感謝の気持ちで一杯です」と語っている。この年女優の前原絵理(現在は前原エリに改名)と結婚。その後一部の新聞紙上で前原とは別居状態と報道され、離婚に至ったのかは発表されていないが、2007年のプロ野球選手名鑑では独身と記載された。

2005年は主に二塁手として出場し、前半戦は小笠原道大らが不振にあえぐ中、5番または2番を打って打線を引っ張り、打率3割を越える活躍でオールスターにも選出された。後半戦は失速したものの、本塁打は前年の9本から18本に倍増し、自己最高の打撃成績を残した。肩の故障歴からスローイングに難があるものの、二塁守備ではわずか4失策と向上が見られた。一方で三振は108から138(同僚のフェルナンド・セギノールに次ぐリーグ2位)に増加。チーム全体でも1151三振を喫し、チーム三振数のプロ野球記録を作る一因となった。オフに地元商工会での激励会に出席した際、「何故ファイターズを逆指名したか」とのインタビューに対し「すぐレギュラーが取れそうな球団だったので」と返答している。なお後のトレードの際も、逆指名で入ったのにトレードされてショックかと質問されて、「地元に帰れるし、請われて行くのですからむしろ嬉しい」と答えている。

2006年は二塁手に新外国人ホセ・マシーアスが加入、小笠原が三塁から一塁に再コンバートされ、木元は三塁手として出場するも腰痛の影響もあって極度の打撃不振に陥り、守備でも精彩を欠いた。7月末の函館遠征の頃に二軍落ち、そのまま日本シリーズ終了まで再昇格できずに終わった。アジアシリーズでは三塁、一塁として全4試合に出場した。同僚のセギノールは自身のパスポートの有効期限切れにより、日本に入国できず出場できなかったため自宅のテレビで観戦していたが、その際木元を見て「新しい三塁手を取ったのか?」と発言している(この年、木元は中盤以降二軍だったものの、セギノールと木元は入団以来3年間チームメイトであり、冗談だったのか本気だったのかは不明)。

2007年シーズンにはFA巨人へ移籍した小笠原の穴を埋める選手として期待され、開幕カードでも5番一塁手で出場したが、前年以上の打撃不振に苦しみ4月14日の二軍降格まで開幕戦での1安打しか打てなかった。5月26日に一軍に再び昇格しスタメン起用され、その試合の最初の打席で開幕戦以来のヒットを打ったものの、以後は代打代走としてしか起用されなかった。6月28日に歌藤達夫萩原淳との交換トレード清水章夫とともにオリックスへ移籍。

オリックス時代編集

オリックスの一員としての初出場は、移籍した翌日の2007年6月29日、古巣・日本ハム戦だった。8回裏1死、0-1と1点ビハインドの場面で代打として登場し、元同僚・ダルビッシュ有から安打を放った。これを口火にチームはダルビッシュから4点を奪い逆転勝利。木元はこの試合のヒーローに選ばれた。9月17日千葉ロッテ戦では、同点で迎えた12回裏2死満塁の場面で小林雅英からセンターにサヨナラ安打を放った(ちなみにサヨナラのホームを踏んだのは、投手の山本省吾である)。

2008年は開幕一軍入りを果たしたものの、15試合に出場し僅か3安打、打率.090と極度の打撃不振に陥った。4月中に二軍へ落ちると、以後は一軍から声がかからなかった。

2009年は1軍出場がなく、10月3日戦力外通告を受ける。シーズン終了後、12球団合同トライアウトに参加するが獲得する球団はなく現役引退。

現役引退後編集

京都市の教員採用試験を受験し合格する[1]。これにより京都市の職員として、公立中学校の保健体育科教員となり、2013年4月より着任している[1]

詳細情報編集

年度別打撃成績編集

















































O
P
S
2002 日本ハム 87 266 244 21 59 11 1 7 93 26 1 0 2 1 14 2 5 56 8 .242 .295 .381 .677
2003 102 404 373 61 112 16 0 14 170 59 8 3 0 0 29 2 2 93 9 .300 .354 .456 .810
2004 132 559 505 67 144 24 1 9 197 62 4 2 0 3 47 0 4 108 8 .285 .349 .390 .739
2005 132 565 513 74 144 16 4 18 222 73 4 4 4 0 45 1 3 138 5 .281 .342 .433 .775
2006 69 244 218 15 52 9 0 1 64 21 4 2 9 0 15 2 2 51 3 .239 .294 .294 .587
2007 18 37 35 2 3 0 0 0 3 1 0 0 1 0 1 0 0 10 0 .086 .111 .086 .197
オリックス 31 65 58 5 15 3 1 0 20 5 0 0 1 2 3 0 1 11 3 .259 .297 .345 .642
'07計 49 102 93 7 18 3 1 0 23 6 0 0 2 2 4 0 1 21 3 .194 .230 .247 .477
2008 15 34 33 1 3 0 0 0 3 2 0 0 1 0 1 0 0 10 1 .091 .118 .091 .209
通算:7年 586 2174 1979 246 532 79 7 49 772 249 21 11 18 6 154 7 17 477 37 .269 .326 .390 .716

年度別守備成績編集

年度 一塁 二塁 三塁
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
2002 - 42 66 87 1 19 .994 31 24 39 3 5 .955
2003 86 749 45 5 92 .994 1 1 1 1 0 .667 20 10 34 2 5 .957
2004 38 117 12 0 7 1.000 99 183 272 8 65 .983 38 26 54 4 5 .952
2005 43 118 11 0 13 1.000 121 225 385 4 112 .993 6 1 2 0 0 1.000
2006 2 4 0 0 1 1.000 17 27 52 1 8 .988 54 31 81 8 5 .933
2007 15 89 7 0 8 1.000 - 1 1 1 0 0 1.000
2007 1 7 0 0 1 1.000 7 12 15 0 3 1.000 18 7 19 1 2 .963
2008 4 13 1 0 0 1.000 3 4 6 0 0 1.000 7 2 12 0 1 1.000
通算 179 1097 76 5 122 .996 290 518 818 15 207 .989 175 102 242 18 23 .950

記録編集

初記録
その他の記録

背番号編集

  • 10 (2001年 - 2007年途中)
  • 12 (2007年途中 - 同年終了)
  • 2 (2008年 - 2009年)

脚注編集

関連項目編集

外部リンク編集