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この項目では日蓮正宗本尊について述べる。

目次

概説編集

宗祖所顕の大曼荼羅本尊については、美術愛好家の間において文字曼荼羅・十界曼荼羅などと呼ばれているものもあるが、日蓮正宗ではこれらはすべて伝本門戒壇之大御本尊を木の幹とした枝葉であるとされている。「南無妙法蓮華経」の題目と宗祖の名「日蓮」および判形からなる首題が特徴的な筆さばきで中央に縦書きされ、その左右を界の釈迦牟尼仏・多宝如来から、菩薩や神々、地獄界の提婆達多に至るまで、一念三千に包含される衆生を代表する数多くの名前が取り囲む、という構造になっている。この姿は、本尊七箇之相承の「中央の首題、左右の十界、皆悉く日蓮なり」との言葉のごとく、霊山会上の儀式の姿を借りて、日蓮の一心に具わるところの十界互具・百界千如・事の一念三千の全体を顕すとされる。すなわち中央の南無妙法蓮華経・左右の十界の聖衆ともに、日蓮の生命全体を顕わすとし、故に日蓮は「日蓮が魂を墨にそめながして書きて候ぞ、信じさせ給へ」と言うのだ、とされる。

日蓮正宗の各寺院・施設および各信徒宅には、時の法主によって授与された宗祖所顕の大曼荼羅本尊、もしくは歴代法主による書写の曼荼羅本尊が安置されており、本尊に対する日々の給仕は「生身の日蓮大聖人にお仕えするのと同じ気持ち」で行うべきことが、当然とされている。この本尊は生身の仏、すなわち「御本仏日蓮大聖人」の悟りそのものであると同時に、人本尊(にんほんぞん)としての宗祖の境界と境智冥合して、人法一箇(=相即一体)の関係において顕わされているとされる。この本尊に朝夕に勤行唱題することこそが、“どんな者でも必ず仏になれる”という法華経の文底に秘沈された事の一念三千の法を、単なる理屈ではなく、実際に一生成仏を遂げるための実践法、つまり観心修行として体現するものであることとされている。

第二祖の日興は、神天上の法門を厳格に主張して他宗勧請の神社をすべて謗法と断じた反面、広宣流布が達成された暁においては、日本全国の神社仏閣すべてに御本尊が安置されることから、参拝を解禁すべき旨をも書き残している[要出典]。このため、静岡県富士宮市の大石寺周辺の大石寺信徒しか住んでいない地域の神社には、神体として日蓮正宗の本尊が安置されているところがある。

本尊の形態編集

本尊の形態には「紙幅本尊」と「板本尊」がある。

紙幅本尊は表具をつけて掛軸の形にしてあり、法主直筆の「常住本尊(書写本尊)」と、法主直筆の曼荼羅を印刷した「形木本尊」に分けられる。寺院所蔵の紙幅本尊はすべて「常住本尊」であり、葬儀の際に掲げられる「導師本尊」も同じく「常住本尊」である。信徒宅に貸し下げられる本尊は「形木本尊」(特別形木本尊もある)で、信心熱心な信徒が所属寺院を通して総本山に申請すれば「常住本尊」が授与されることもある。

「板本尊」は、日興門流のみに代表される「常住本尊」である。総本山の諸堂、各寺院の本堂に安置され、伝「本門戒壇之大御本尊」を模して、黒漆塗りの板に文字を刻み、文字には金箔が施されている。また、末寺の客殿や納骨堂に安置される板本尊には法主直筆の白木の板本尊もある。蓮華座に本尊の臍を差し込んで安置されている。大石寺客殿安置の「御座替わり御本尊」(日興書写)など、周囲に金色の枠が施されている本尊もあるが、施設に関しては紙幅本尊のところもあれば板本尊のところもある。

なお、此処に書かれている常住板御本尊と本門戒壇大御本尊の形状は同じである。 また、本尊には書写年月日、所蔵寺院名、安置場所、願主名などが脇書として書かれることもあり、本尊を書写した時の法主の名と判形(花押)も下部に書かれている。

本門戒壇の大御本尊編集

大石寺奉安堂所蔵の縦約143センチ、横約65センチの楠木製とされる曼荼羅である[1]。写真は明治期に熊田葦城著『日蓮上人』に掲載されたが、その後日蓮正宗は写真撮影を禁止する方針をとった(熊田本の写真はこちらを参照)[2]

日蓮正宗では、本門戒壇の大御本尊は、1279年弘安2年)10月12日宗祖所顕と伝えられ、宗祖の出世の本懐(ほんがい)宗祖所顕の曼荼羅の中でも究境の大曼荼羅と位置づけ[3][4]、帰命依止の本尊と定める[5]。熱原の法難を契機として日蓮の命により日法が彫刻したとされる[6][7]

対して日蓮宗はこの立場を取らず日蓮死後の後世に制作されたとし、論争の種になってきた[1][8]

創価学会も日蓮正宗傘下の時代は信仰対象としており、例えば1955年の日蓮宗との法論「小樽問答」の際の記録にも見て取れる[8]。しかし、1990年代に日蓮正宗と対立し破門されると、大御本尊を信仰の対象から外し始めた。1999年には日蓮正宗僧侶河辺慈篤のメモ(河辺メモ)が流出し、そこに「御本尊は偽物」との記述があったことから、創価学会側はこれを利用し日蓮正宗を批判した。2014年の規約変更により正式に「受持の対象としない」こととされた[9]

導師本尊編集

各寺院所蔵の本尊のうち、枕経・通夜・葬儀の際に掲げられる「導師本尊」は、故人を霊山浄土へ導くとされる即身成仏のための本尊で、「即身成仏の御本尊」ともいわれる。また、総本山大石寺をはじめとする寺院の納骨堂には本尊が安置される場合もある。納骨堂に本尊を安置する場合も同じ意味で導師本尊が安置され、板本尊も存在する。

紫宸殿御本尊編集

 
紫宸殿御本尊

通称、紫宸殿御本尊(ししんでんごほんぞん)と呼ばれるものは、富士大石寺と京都要法寺にある本尊である。しかし、大石寺と要法寺のものは、まったくの別物である。

大石寺のものは、1280年(弘安3年)太歳庚辰3月日、日蓮の真筆で紙幅の曼荼羅であり、富士宗学要集5巻には「紫宸殿御本尊と号す」と記載され、天皇が日蓮の仏法に帰依したとき、天皇に下附し紫宸殿天皇の住居)に奉掲するための特別の本尊とされている。また別な伝説によれば、大石寺9世日有の時代に、本門戒壇之大御本尊を盗賊から守るため沼津の井出という家の洞穴に保管し、紫宸殿御本尊を板に刻み「身代わり御本尊」としたと伝えられている。紫宸殿御本尊という名称は、もとより伝承であり長い間親しまれてきたが、2002年の御虫払い法要において大石寺67世日顕の説法があり「その名称も見直しが行われるべきであり師資相承之御本尊または師資伝授之御本尊と呼ぶのが正しい」とされている。 要法寺にあるものは、1756年(宝暦6年)、紫宸殿において天覧に奏した紙幅の曼荼羅であるが、日蓮の真筆ではないとされている。

安置形式と仏壇・仏具編集

本尊の安置形式は、通常は本尊のみを安置する形式であるが、一部の寺院では、大石寺御影堂のように本尊の前に日蓮の像を安置する「御影堂式」、「一体三宝式」または、大石寺の客殿のように中央に本尊を安置し、本尊に向かって左側に日蓮の像、本尊に向かって右側に日興の像を安置する「客殿式」、「別体三宝式」の安置形式をとっているところもある。
日蓮正宗では、本尊を厨子に安置する。また、仏壇に位牌を置くことはない。葬儀においては白木の位牌が用いられるが、五七日忌または七七日忌などに納骨を行う際に、過去帖に記入し、白木の位牌はお寺納めとする。したがって、朝夕の勤行においては、過去帖を見ながら物故者の追善を行う。また、日蓮正宗の仏壇は、他宗派の仏壇とは構造が大きく異なり、内側に厨子が付いているものが特徴である。また、寺院の厨子を模した家庭用仏壇もある。
信徒が仏壇に位牌を置くことはないが、大石寺の大講堂の仏前には日興と日目の位牌が安置されている。これは、日蓮が説法し、血脈を直接受け継いだとされる弟子の日興と日目が日蓮の見守る中、説法する意味が込められている。

脚注編集

参考文献編集

  • 日蓮正宗入門』宗旨建立750年慶祝記念出版委員会、阿部日顕(監修)、大石寺、2002年10月12日、第2版。ISBN 978-4904429778NCID BA56841964OCLC 6756278932014年12月5日閲覧。(ISBNは、改訂版のもの。)
  • 日蓮正宗宗務院, 編纂.「日蓮正宗宗規第3条」『大日蓮 平成16年4月号』、大日蓮出版、2004年4月、2014年12月12日閲覧。
  • 『法華講員の心得』日蓮正宗宗務院、大日蓮出版、2008年2月16日(原著1988年10月1日)、改訂版第5刷。ISBN 978-4904429150OCLC 676522972
  • 金原明彦『日蓮と本尊伝承―大石寺戒壇板本尊の真実』水声社、2007年8月。ISBN 978-4891766481

外部リンク編集