朱 文圭(しゅ ぶんけい、1401年 - 1457年)は、明の皇族。第2代皇帝建文帝の次男。
1402年に大叔父の永楽帝によるクーデター(靖難の変)で父が敗れて行方不明になる。このとき2歳だった朱文圭は永楽帝より助命はされたが、建庶人に降格されて、皇族の籍を剥奪され、以後はずっと幽閉された。
はるか後の1457年に奪門の変が起こり、英宗が重祚すると、このとき出された恩赦によって57歳にして罪を許され、皇族として復帰し、妻を娶り行動の自由も許されたが、間もなく病没した。
明滅亡後の亡命政権の南明の歴代皇帝から、潤懐王または原懐王と諡を受けた[1]。