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杉浦 正直(すぎうら まさなお)は、江戸時代中期から後期の旗本寄合)。石高は8000石。

 
杉浦正直
時代 江戸時代中期‐後期
生誕 明和7年12月12日1771年1月27日
死没 文化15年2月20日1818年3月26日
改名 松平信武→信邦→杉浦正直
別名 房次郎→直次郎(通称
戒名 温徳院殿
墓所 東京都台東区西浅草の長敬寺
官位 従五位下、若狭守、丹波
幕府 江戸幕府中奥小姓
主君 徳川家斉
氏族 大河内松平氏杉浦氏
父母 父:松平信礼
母:芳姫(黒田直純の娘、本多正珍養女)
養父:杉浦正勝
兄弟 松平信明正直
女、静(秋田倩季室)、五百、禎(加納久堅養女、加納久周室)、鶴年(松浦清室)、品(黒田直英室)、喜鶴(永井直進室)
正室:辰姫立花種周の娘)
明誠大河内政養
満(松平信明養女、中川久貴室)

生涯編集

明和7年12月12日(1771年)、三河吉田藩主・松平信礼の次男として江戸谷中の吉田藩下屋敷で生まれる。この時すでに父信礼は他界しており、側室の子である兄・信明が藩主となっていたため、正室の子でありながら部屋住みとなった。なお、部屋住み中に妾との間に2男1女をもうけている。

寛政11年(1799年)11月23日に旗本・杉浦正勝の養子となり、正直と名乗る。寛政12年(1800年)閏4月23日、吉田藩邸から杉浦家へ移る。同年6月1日に初めて将軍家斉に拝謁した。同年11月22日、筑後三池藩主・立花種周の娘・辰姫を娶る。なお種周は幕府若年寄であったが、正直の実兄である老中・松平信明らと対立し失脚している。このことが原因かは不明だが2人は後に離縁している。享和2年(1802年)2月19日、中奥小姓となる。享和3年(1803年)12月16日、従五位下若狭守に叙任される。文化3年(1806年)8月3日、家督を相続する。文化11年(1814年)2月16日、病により中奥小姓を免じられる。文化12年(1815年)3月25日に隠居し、丹波守と改める。文化15年(1818年)2月20日(23日と公表)に死去。享年49。

参考文献編集

  • 『寛政譜以降旗本家百科事典』第3巻
  • 『豊橋市史』第6巻