村上亮 (陸軍軍人)
村上 亮(むらかみ まこと[1]、1888年(明治21年)4月22日[2] - 1944年(昭和19年)5月26日[2])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
村上 亮 | |
---|---|
生誕 |
1888年4月22日 日本 兵庫県 |
死没 | 1944年5月26日(56歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1911年 - 1944年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
経歴
編集兵庫県出身[2]。陸軍士官学校第23期卒業[2]。1922年(大正11年)10月、陸軍騎兵学校教官に就任し[3]、1924年(大正13年)9月時点で陸軍技術本部御用掛を兼ねた[4]。1927年(昭和2年)7月、陸軍騎兵少佐進級と同時に騎兵第8連隊附となり[5]、1929年(昭和4年)8月に騎兵第3旅団副官(第8師団[6][7])に就任した[8]。1932年(昭和7年)4月に軍馬補充部高鍋支部部員に転じ[9]、1933年(昭和8年)8月、陸軍騎兵中佐進級と同時に軍馬補充部高鍋支部長に着任した[10]。
1936年(昭和11年)8月、騎兵第8連隊長(第8師団・騎兵第3旅団[11][12])に就任し[1]、1938年(昭和13年)7月に陸軍騎兵大佐に進級[1]、1939年(昭和14年)3月に盛岡連隊区司令官に転じた[1]。1942年(昭和17年)8月、陸軍少将進級と同時に東京連隊区司令官に着任し[1][2]、1944年(昭和19年)5月10日に近衛第3師団兵務部長(東部軍[13][14])に転じた[14]。5月20日に東部軍司令部附となったが[15]、5月26日に死去した[2]。
脚注
編集- ^ a b c d e 外山 1981, 304頁.
- ^ a b c d e f 福川 2001, 718頁.
- ^ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 大正15年9月1日調719頁
- ^ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 大正13年9月1日調803頁
- ^ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 昭和2年9月1日調731頁
- ^ 外山・森松 1987, 291頁.
- ^ 外山・森松 1987, 293頁.
- ^ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 昭和3年9月1日調726頁
- ^ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 昭和7年9月1日調694頁
- ^ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿: 索引付 昭和8年9月1日調689頁
- ^ 外山・森松 1987, 386頁.
- ^ 外山・森松 1987, 388頁.
- ^ 外山・森松 1987, 1015頁.
- ^ a b 外山・森松 1987, 1018頁.
- ^ 「第99号 昭和19年5月23日 陸軍異動通報」 アジア歴史資料センター Ref.C12120910200
参考文献
編集- 外山操・森松俊夫 編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。