村上光一

日本の実業家

村上 光一(むらかみ こういち、1940年3月2日 - )は、日本実業家。株式会社フジテレビジョン相談役日本映画放送株式会社相談役、東京外国語大学理事

フジテレビジョン常務取締役、専務取締役代表取締役社長を歴任した。

来歴・人物編集

台湾出身。戦後東京都引き揚げて育った。東京都立新宿高等学校東京外国語大学外国語学部スペイン語学科を卒業。

大学卒業後の1962年にフジテレビ入社後は、主に編成畑を歩み、1980年代のフジテレビのお笑い番組に於ける、編成側の中心的存在となる。

編成局編成部長を経て、1988年7月編成局長に昇進。1991年6月に取締役昇進し、同年7月からはフジテレビ出版の代表取締役社長を兼任した。

1995年6月に常務取締役編成担当に昇進し、1998年、エールエムエヌジャポン(現アジャンス・デ・ミュゼ・フランセ)代表取締役会長に就任。1999年6月、専務取締役業務推進本部長(番組審議室担当)に昇格。

2000年2月にはフジテレビ等が出資し設立した日本映画衛星放送の初代代表取締役社長を兼務し、2001年6月からフジテレビジョンの代表取締役社長に昇進。前任の日枝久に続く、2人目のフジテレビ生え抜き社長となった。

同社社長を3期6年務めた後、2007年6月に相談役に退いた。

2009年9月より東京外国語大学の理事を務める。

エピソード編集

編成時代の代表作は1978年の『白い巨塔』で、本人もエキストラ出演をしたことがある。

若い頃に無断で長期休暇を取り、ヨーロッパにオペラ鑑賞に行った事がある。

1985年日航機墜落事故ではスクープ映像放送に大きく貢献した。

俳優中村敦夫は高校・大学の同級生で、夫人は内舘牧子の高校の同級生である。

めちゃ×2イケてるッ!』のファンであることを公言している。2005年1月29日放送の「フジTV警察24時」に出演し、運転手と間違えられるという扱いを受けながらもメンバーに感謝状を手渡した。

同年7月の『FNS25時間テレビ』の「トリビアの温泉」で、報道記者の村上真理子に「報道部員なんだから、御行儀よくレポート頼むよ」とフジテレビを代表して応援したが、結局評価(あつい)の数は多く獲得するには至らなかった。

2007年6月16日放送「おかもんたの朝メチャッ!」に出演した際は番組への特別表彰を「社長最後の仕事」として行った。

社長就任後の2001年から『FNSの日』の製作総指揮を6年連続で務めていた[注 1]

携わった映画編集

製作編集

製作総指揮編集

企画編集

  • 時雨の記(1998)
  • ストロベリーロード(1991)
  • 誘惑者(1989)
  • ジュリエット・ゲーム(1989)
  • 木村家の人びと(1988)
  • 優駿 ORACION(1988)

社会的活動編集

関連項目編集

外部リンク編集

脚注編集

注釈編集

  1. ^ 歴代社長では日枝に次いで2人目、通算では4人目。