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来歴編集

東京都出身。東京芸術大学、及び同大学院にて作曲を南弘明黛敏郎に師事。1977年、日本音楽コンクール作曲部門入賞。

1979年、ドイツ政府学術交流会(DAAD)給費留学生としてベルリン芸術大学にて、尹伊桑に師事。

1985年ドイツメンヒェングラートバッハ市国際作曲コンクール1位。1986年、入野賞受賞。

1988年から2003年まで、東京芸術大学音楽学部作曲科非常勤講師、1991年から99年まで尚美学園短期大学音楽学科助教授、1999年から2003年まで尚美学園大学情報芸術学部教授を歴任、また、2003年には「アジア音楽祭2003in東京」実行委員長、1999年から2004年にはアジア作曲家連盟英語版会長を務めた。

東京芸術大学副学長(研究担当)・演奏藝術センター教授、社団法人日本作曲家協議会会長、アンサンブル東風代表などを務めた。

2018年9月16日、急性大動脈解離により死去[1][2]

作風編集

デビュー当初は師のユン譲りの強力な持続と野太い歌謡性を、前面に押し出していた(「時の糸I,II」、「アトール」)。なおかつ、クライマックスや動機法も失われることがなかった。

代表作である和太鼓協奏曲「飛天遊」は、林英哲のソロにより国内外問わず多く再演されている。2000年にはケント・ナガノ指揮・ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団による演奏がヨーロッパ・日本等で衛星中継され、演奏後にスタンディング・オーベーションする観客の姿が大きく映された。

1990年代からは東洋的情緒や沈黙へのわずかな彩りを多用している。こうした傾向は、1983年に作曲された三本のクラリネットのための「東風」で既にみられた。90年代末からはその傾向が題名にも反映され、日本の各種伝統芸能とのコラボレーションにまで発展している。

2005年にはガウデアムス音楽賞の審査員に選出された。芸大非常勤時代には、川島素晴田村文生大村久美子などの逸材を育てている。

主要作品編集

管弦楽編集

  • ディフュージョン(1976年)(日本音楽コンクール受賞作品)
  • アラバスター/3群のorch.(1977年)(ISCM音楽祭「世界音楽の日々」1982入選)
  • 時の糸 II(1987年)(入野賞受賞作品/ISCM音楽祭「世界音楽の日々」1998入選)
  • シンフォニック・ポエム「夢の航跡」(1989年
  • シンフォニック・ポエム「筑後」(1990年
  • グラン・アトール(1992年
  • 時の糸 III(1993年
  • 和太鼓協奏曲「飛天遊」(1993年
  • ヴィオラ小協奏曲「夢の調べに」(1995年
  • 信州民謡パラフレーズ(1998年
  • 幻想曲「通りゃんせ」(1999年
  • サウン協奏曲「ベルワッナサウン」(1999年
  • 交響曲「陀羅尼」(2002年

室内楽編集

  • レイヤー(1976年
  • アトール I(1982年
  • アトール II(1982年
  • 東風(1983年
  • 時の糸 I(1984年)(メンヒェングラードバッハ市作曲コンクール1位/ISCM音楽祭「世界音楽の日々」1993入選)
  • エアスコープ I(1984年
  • エアスコープ II(1984年
  • ロロール(1985年
  • エアスコープ III(1986年
  • オプティカル・ポエム(1987年
  • オプティカル・タイム(1987年
  • オプティカル・ウェーブ(1992年
  • 五重奏曲~映画「屋根裏の散歩者」の音楽~(1992年
  • リリカル・タイム(1992年
  • 夢の時へ(1994年
  • 秋の葉音に(1994年
  • 時の調べに(1996年
  • 夢の想いに(1998年
  • 藤戸(1998年
  • 夢の調べに II(1999年
  • 風の宴(2000年
  • 響きの宴(2001年
  • マントラ(2001年
  • ダンマパダ(2001年
  • 葦の舞(2001年
  • フルート合奏曲(2002年
  • 交響曲「合掌」/聲明と室内オーケストラ(2004年
  • 2本の尺八のための協奏曲「天空の舞」(2007年

吹奏楽編集

合唱編集

  • 合唱組曲「五月を送るうた」(1989年
  • 合唱組曲「春のガラス」(1992年
  • 女声合唱組曲「十月のノクターン」(1993年
  • 女声合唱組曲「南の絵本」(1996年

オペラ編集

  • 信濃の国・善光寺物語(1997年)(長野オリンピック公式文化プログラム)

脚注編集

外部リンク編集