松川 道哉(まつかわ みちや、1924年12月22日 - 2000年11月16日)は、福島県出身の大蔵官僚財務官

来歴・人物

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府立一中から一高に進学。秀才の誉れが高く、一高の文乙をトップで卒業[1]海軍経理学校短期現役組を経て、1945年に海軍主計少尉。1947年 東京大学法学部政治学科卒。高文合格後、大蔵省入省(管理局総務課)[2]。1952年3月 加古川税務署長主計局主計官補佐主査)を計5年間務めるなど、主に前半は主計畑で育つ[3]。1962年6月 主計局主計官(地方財政、補助金係担当)。大臣官房審議官国際金融局担当)、大臣官房審議官(銀行局担当)などを経て、1972年6月 国際金融局次長。1973年6月 国際金融局長。1974年6月26日 大臣官房長。1975年7月8日 理財局長。当初は銀行局長就任が有力とされていた[4]。1976年6月 財務官主計局長事務次官がほぼ想定圏内に入っていただけに、財務官就任時には懇談会の席で目頭を押さえ、嗚咽を漏らしていたという[5]ニクソン・ショック後の日本の国際金融の舵取りにあたった。退官後は日興リサーチセンター理事長など。

略歴

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脚注

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  1. ^ 『日本の官庁:その人と組織』政策時報社、1970年発行、64頁
  2. ^ a b 『長沼弘毅:長沼弘毅追悼録』1978年5月発行、125頁
  3. ^ 『日本の官庁:その人と人事』国土政策研究会、1982年発行、163頁
  4. ^ 東洋経済 第3875号』1975年5月31日発行、79頁
  5. ^ 岸宣仁『財務官僚の出世と人事』文春新書、2021年7月発行、250頁
  6. ^ a b 『大蔵省人名録:明治. 大正. 昭和』大蔵財務協会、1973年発行、163頁
  7. ^ 『日本の官庁:その人と組織』政策時報社、1970年発行