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柏原文太郎

柏原 文太郎(かしわばら ぶんたろう、明治2年1月18日[1]1869年2月28日) - 昭和11年(1936年8月10日)は、日本の教育家社会事業家千葉県出身。

日中問題の権威で東亜同文会設立の功労者であるとともに、目白中学の創設からその実質的な校長職務を歴任した。さらに衆議院議員(1912年 - 1920年)として日中関係私学教育の改善に功績を残した。

略歴編集

「文部省の教育検定の選任が官学に偏重し、私学からの検定委員が皆無である。私学からも四千人からの受験者がおり、私学の教員にも相当なる学者がいる。官学、私学同等の権利待遇を与え、教育行政の公平を保つべし。」旨の提出趣旨をもって私学教育の重要性を建議。

脚注編集

  1. ^ 『第拾壱回改選 代議士銘鑑』、国華新聞社、1912年。