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水野 忠定(みずの たださだ、元禄4年(1691年) - 延享5年6月26日1748年7月21日))は、江戸時代中期の大名安房北条藩の初代藩主。忠位系水野家2代。

伊勢桑名藩主・松平定重の九男。母は井上氏。正室は水野忠位の娘。子に水野忠寛(長男)、水野忠見(次男)、娘(久松松平勝房正室)、娘(内田正親正室)、娘(酒井忠香正室)、娘(水野忠耆正室)、娘(内藤正興正室)。官位は従五位下、壱岐守。

幼名は吉之助。正徳2年(1712年)5月、大坂定番水野忠位(1万2000石)の婿養子となり、同年12月に叙任する。正徳3年(1713年)9月16日、家督を継ぐ。知行地のうち摂津5000石が信濃に差し替えられて同国筑摩郡に知行所を置き、信濃1万石、丹波2000石を領する。享保4年(1719年)10月、大番頭となる。享保8年(1723年)3月に若年寄となり、無城大名となった。享保10年(1725年)10月18日、宗家の松本藩水野忠恒の改易に合わせて安房国北条に移封され(安房国安房郡朝夷郡長狭郡上総国市原郡)、北条藩を立藩した。享保18年(1733年)6月、丹波国内で3000石を加増され(氷上郡船井郡天田郡)、知行高が1万5000石となる。延享2年(1745年)9月からは徳川家重付の若年寄となる。

延享5年(1748年)6月26日、58歳で死去し、跡を次男の忠見が継いだ。法号は鏡誉智天定光大円院。墓所は東京都文京区小石川の伝通院。

出典編集

先代:
水野忠位
丹波国摂津国
1713年 - 1725年
次代: