氷見郡
日本の富山県にあった郡
郡域
編集歴史
編集江戸時代以前に射水郡を2つに分け、その片方を氷見郡と俗称したのが始まりである。江戸時代初期、加賀藩政下において実際に氷見郡が射水郡より分離されたが、1673年(延宝2年)に再び射水郡に統合された。1896年(明治29年)、再び射水郡から分離された。
沿革
編集- 1896年(明治29年)
- 1923年(大正12年)3月31日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
- 1926年(大正15年)6月30日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
- 1940年(昭和15年)
- 4月1日 - 加納村が氷見町に編入。(1町19村)
- 10月1日 - 稲積村が氷見町に編入。(1町18村)
- 1952年(昭和27年)8月1日 - 氷見町が碁石村・八代村・余川村を編入・市制施行して氷見市となり郡より離脱。(15村)
- 1953年(昭和28年)
- 1954年(昭和29年)4月1日 - 阿尾村・宇波村・久目村・神代村・十二町村・速川村・布勢村・仏生寺村・女良村・藪田村が氷見市に編入。同日氷見郡消滅。富山県内では1896年の郡の再編以来、初の郡の消滅となった。
行政
編集- 歴代郡長
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 明治29年(1896年)4月1日 | |||
大正15年(1926年)6月30日 | 郡役所廃止により、廃官 |
氷見郡役所
編集1902年(明治35年)、氷見町仕切町338に氷見郡役所が設置される[2]。郡会の廃止に伴い、氷見郡では1923年(大正12年)、廃止記念式典を催し[2]、残務処理を終えた3年後の1926年(大正15年)に郡役所も廃止となった[3]。この庁舎は、後に富山県立氷見中学校(後の富山県立氷見高等学校)に転用[4][5]されたのち、1930年(昭和5年)に開館した図書館となった[6]が、1938年9月6日、台風襲来時の氷見町下伊勢町より発生した氷見町大火により、1500戸以上の建物とともに全焼した[7]。
脚注・出典
編集- ^ 『高岡市市制100年記念誌 たかおか-歴史との出会い-』(1991年12月、高岡市発行)356頁。
- ^ a b 氷見市史編さん委員会編、『氷見市史2 通史編ニ 近・現代』第1編第2章第1節、2006年(平成18年)3月、氷見市
- ^ 氷見市史編さん委員会編、『氷見市史2 通史編ニ 近・現代』第2編第1章第1節、2006年(平成18年)3月、氷見市
- ^ 氷見市史編さん委員会編、『氷見市史2 通史編ニ 近・現代』378頁、2006年(平成18年)3月、氷見市
- ^ 学校の沿革 -富山県立氷見高等学校(2018年2月18日閲覧)
- ^ 氷見市立図書館の歩み -氷見市立図書館(2018年2月18日閲覧)
- ^ 氷見市史編さん委員会編、『氷見市史2 通史編ニ 近・現代』第3編第1章第5節、2006年(平成18年)3月、氷見市
参考文献
編集- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 16 富山県、角川書店、1979年10月1日。ISBN 4040011600。
- 旧高旧領取調帳データベース
関連項目
編集先代 射水郡の一部 |
行政区の変遷 1896年 - 1954年 |
次代 (消滅) |