池田政員

江戸時代中期の大名。備中生坂藩3代藩主。池田政晴の次男。従五位下中務少輔

池田 政員(いけだ まさかず)は、江戸時代中期の大名備中生坂藩3代藩主。通称は伊織。

 
池田 政員
時代 江戸時代中期
生誕 元文2年10月23日1737年11月15日
死没 明和4年1月25日1767年2月23日
改名 泰太郎(幼名)、政員
別名 伊織(通称
戒名 承徳院殿佑邦宗賢大居士
官位 従五位下中務少輔
幕府 江戸幕府
主君 徳川家重家治
備中生坂藩
氏族 池田氏(輝録流)
父母 父:池田政晴、母:池田政倚の娘
兄弟 鵜殿政長政員政弼長恵池田長仍正室、山内豊産正室、八重子、甲斐庄正堅正室
正室:美恵子池田政純四女)
政良、秀次郎
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略歴

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2代藩主・池田政晴の次男として誕生した。幼名は泰太郎。

寛延元年(1748年)、父の死去で跡を継ぐ。明和4年(1767年)正月、疱瘡を発症し[1]、正月25日に31歳で死去した[2]末期養子の届け出の関係で、公式には正月29日死去と届けられた[3])。跡を弟の政弼が継ぎ、実子の政良、秀次郎は公式には政弼の子とされた[4]

系譜

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脚注

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  1. ^ 『お家相続 大名家の苦闘』p.48
  2. ^ 『お家相続 大名家の苦闘』p.56
  3. ^ 『お家相続 大名家の苦闘』p.58
  4. ^ 『お家相続 大名家の苦闘』p.59-63

参考文献

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  • 大森映子『お家相続 大名家の苦闘』(角川選書、2004年)