池田1号墳(いけだいちごうふん、池田1号古墳)は、岐阜県多治見市池田町にある古墳。形状は円墳。多治見市指定史跡に指定されている(指定名称は「池田1号古墳」)。

池田1号墳

墳丘・石室開口部
別名 池田1号古墳
所在地 岐阜県多治見市池田町10丁目61番地1(喜多緑地公園内)
位置 北緯35度19分59.12秒 東経137度6分2.22秒 / 北緯35.3330889度 東経137.1006167度 / 35.3330889; 137.1006167座標: 北緯35度19分59.12秒 東経137度6分2.22秒 / 北緯35.3330889度 東経137.1006167度 / 35.3330889; 137.1006167
形状 円墳
規模 直径14m
埋葬施設 両袖式横穴式石室
のち竪穴系横口式石室
出土品 耳環・鉄製品・須恵器
築造時期 6世紀
史跡 多治見市指定史跡「池田1号古墳」
地図
池田1号墳の位置(岐阜県内)
池田1号墳
池田1号墳
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概要

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岐阜県東部、土岐川支流の辛沢川北岸において、辛沢川が開いた谷を望む丘陵尾根突端部(標高約135メートル)に築造された古墳である[1]2002-2003年度(平成14-15年度)に発掘調査が実施されている。

墳形は円形で、直径約14メートルを測る[1]。埋葬施設は横穴式石室で、南西方向に開口する。当初は両袖式横穴式石室として構築され、のちに竪穴系横口式石室へと改変された珍しい例(東海地方では報告なし)として注目される。石室内の調査では、副葬品として耳環・鉄製品(刀子・鉄鏃など)・須恵器(高坏・長頸壺・短頸壺・𤭯など)が検出されている[1]。築造時期は古墳時代後期の6世紀末頃で、7世紀前半頃に石室の改変がなされたのち、7世紀後半頃まで4・5回の追葬が想定される[1]

古墳域は2005年(平成17年)に多治見市指定史跡に指定された。現在では史跡整備のうえで公開されている。

遺跡歴

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  • 2002-2003年度(平成14-15年度)、喜多緑地公園整備に伴う発掘調査(多治見市文化財保護センター、2004年に報告書刊行)。
  • 2004年度(平成16年度)、保存整備工事。
  • 2005年(平成17年)8月26日、多治見市指定史跡に指定。

埋葬施設

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石室パース図
 
石室展開図

埋葬施設としては横穴式石室が構築されており、南西方向に開口する。当初は両袖式横穴式石室として構築されたが、のちに竪穴系横口式石室へと改変された石室になる。当初の両袖式横穴式石室の規模は、玄室長さ3.9メートル・幅1.6メートル、羨道長さ約4メートルを測る。この当初石室から、玄室の床面を数十センチメートルかさ上げするとともに、玄室の開口部を狭めて板石を立てて閉塞することで、開口部から玄室にかけて1段下がる構造へと改変されている[1]

調査時点では石室の天井石は失われていたが、保存整備では側壁の一部と天井石が補われるとともに、玄室は築造当初、羨道は改変後の状態に復元されている[1]

文化財

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多治見市指定文化財

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  • 史跡
    • 池田1号古墳 - 2005年(平成17年)8月26日指定。

脚注

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  1. ^ a b c d e f 史跡説明板。

参考文献

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(記事執筆に使用した文献)

  • 史跡説明板(多治見市教育委員会、2005年設置)

関連文献

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(記事執筆に使用していない関連文献)

  • 『池田1号古墳 -喜多緑地公園整備事業に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書-(多治見市埋蔵文化財発掘調査報告書 第74号)』多治見市教育委員会、2004年。 

外部リンク

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