沖縄の旧日本軍施設
本項では、沖縄戦当時の日本軍の拠点と飛行場をまとめる。
旧日本軍の軍施設 | |
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![]() 首里の第32軍司令部壕 | |
![]() 小禄の旧海軍司令部壕 | |
施設情報 | |
管理者 | 旧日本軍 |
司令部壕編集
陸軍 | 第32軍司令部壕 | 南風原町 津嘉山司令部壕 | 1944年夏頃から建設開始、十・十空襲で首里に移転 |
那覇市 首里城 | 1945年5月27日に南部に撤退 | ||
摩文仁 | 1945年6月23日陥落 | ||
海軍 | 旧海軍司令部壕 | 小禄 | 1945年6月13日陥落 |
第32軍司令部壕編集
日本軍は1944年3月22日に第32軍を創設した。それにより、沖縄守備軍 (陸軍第32軍司令部) は、1944年夏ごろから南風原町津嘉山の地下に司令部壕を建設したが、十・十空襲で地盤の弱さが露呈し、首里城地下に場所を変えて司令部壕構築にあたった[1]。首里が包囲されたため、1945年5月27日に南部に撤退。いったん南側の津嘉山の旧司令部壕を経由し摩文仁の壕に向かう[2]。
旧日本軍が沖縄に建設した18の飛行場編集
旧日本軍は各所で土地を接収し沖縄県内に18の飛行場を建設した[3][4][5]。
1943年
夏から陸軍航空本部は読谷村と伊江島に飛行場の建設を進めていたが、工事はほとんど進まなかった。
1944年
7月末を目途に航空作戦準備を完了する予定であったが、1944年4月の時点で陸軍飛行場は一つも完成しておらず、3月26日の部隊命令で、満州に駐屯している第19航空地区司令部を沖縄の第32軍に編入、4月12日に那覇に司令部を開設した。
7月7日のサイパン玉砕後、7月24日大本営は「陸海軍爾後ノ作戦指導大綱」を打ち出し飛行場の完成を急がせるが、陣地構築を急ぐ第32軍に負担は多くなかなか完成しない。大本営は視察団を何度か送り飛行場建設を督促した。
9月、飛行場つくりの名人といわれた参謀を着任させ、9月末日には徳之島1、沖縄本島3、宮古島3、石垣島1の飛行場の一応の完成をみる。
10月10日、十・十空襲で沖縄の主要な飛行場と港湾施設と県都那覇市のほとんどが破壊される。
10月12日から伊江島飛行場や読谷飛行場では昼夜兼行の補修整備が行われ、台湾沖航空作戦の飛行場基地として使用される。
11月、第9師団を台湾に抽出されたことにより、沖縄守備軍は持久作戦の選択を余儀なくされ、読谷・嘉手納飛行場の防衛をほぼ放棄した形となり、自らこれらの日本軍の飛行場を自壊する方向に向かう[6]。
1945年
4月1日、米軍は読谷の北飛行場と嘉手納の中飛行場をめざし上陸した[7]。
日本軍が建設した沖縄の18の飛行場 | |||
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沖縄島 | |||
1 | 伊江島飛行場(伊江島東・中・西飛行場) | [米軍] 伊江島補助飛行場 | |
2 | 陸軍沖縄北飛行場(読谷飛行場) | [米軍] 読谷補助飛行場 | |
3 | 陸軍沖縄中飛行場(嘉手納飛行場・屋良飛行場) | [米軍] 嘉手納基地 | |
4 | 陸軍沖縄南飛行場(仲西飛行場・城間飛行場) | [米軍] 牧港補給地区 | |
5 | 陸軍沖縄東飛行場(西原飛行場・小那覇飛行場) | [米軍] 与那原飛行場 | 返還 |
6 | 陸軍首里秘密飛行場(石嶺飛行場) | ||
7 | 海軍小禄飛行場(海軍那覇飛行場) | [米軍] 那覇空港 | 返還 |
8 | 海軍糸満秘密飛行場(海軍与根飛行場) | ||
南大東島 | |||
9 | 海軍南大東島飛行場 | ||
宮古島 | |||
10 | 海軍宮古島飛行場(海軍飛行場) | 宮古空港 | |
11 | 陸軍宮古島中飛行場(陸軍中飛行場) | ||
12 | 陸軍宮古島西飛行場(陸軍西飛行場) | ||
石垣島 | |||
13 | 海軍石垣島南飛行場(平得飛行場・大浜飛行場) | 石垣空港 | |
14 | 海軍石垣島北飛行場(平喜名飛行場・ヘーギナ飛行場) | 国際農林水産業研究センター沖縄支所 | |
15 | 陸軍石垣島飛行場(白保飛行場) | ||
喜界島と徳之島 | |||
16 | 海軍喜界島飛行場 | ||
17 | 陸軍徳之島北飛行場 | ||
18 | 陸軍徳之島南飛行場 |
参考項目編集
脚注編集
- ^ 南風原町勢要覧 p. 34.
- ^ 八原博通「沖縄決戦 高級参謀の手記」(中公文庫) p. 344-345.
- ^ “沖縄県平和祈念資料館 | 沖縄戦Q&A”. www.peace-museum.okinawa.jp. 2022年3月19日閲覧。
- ^ “沖縄県における旧日本軍による強制接収用地に関する質問主意書”. www.shugiin.go.jp. 2021年6月29日閲覧。
- ^ “東京新聞:<終わらぬ夏 戦後74年>(上) 旧日本軍に接収され 補償も返還もないまま:社会(TOKYO Web)”. web.archive.org (2020年2月14日). 2021年6月29日閲覧。
- ^ 沖縄県「旧軍飛行場用地問題の歴史的な背景とその後の経過」
- ^ “第2章 米軍は読谷を目指した - 沖縄戦デジタルアーカイブ「戦世からぬ伝言」 | 沖縄タイムス+プラス” (日本語). 沖縄戦デジタルアーカイブ「戦世からぬ伝言」 | 沖縄タイムス+プラス. 2021年3月21日閲覧。