首里城

日本の沖縄県那覇市にあるグスク

首里城(しゅりじょう、沖縄語: スイグシク[1])は、琉球王国中山首里(現在の沖縄県那覇市)にあり、かつて海外貿易の拠点だった那覇港を見下ろす丘陵地にあったグスク(御城)の城趾である。現在は国営沖縄記念公園の首里城地区(通称・首里城公園)として都市公園になっている。

logo
logo
首里城
沖縄県
1992年に再建された正殿正面。2016年撮影。2019年に火災で焼失した。
1992年に再建された正殿正面。2016年撮影。2019年に火災で焼失した。
別名 御城(ウグシク)、首里の御城(スイヌウグシク)、中山(チューザン)
城郭構造 山城
天守構造 なし
築城年 14世紀末(推定)
主な改修者 尚巴志
主な城主 第一尚氏、第二尚氏
廃城年 1879年(明治12年)(首里城明け渡しの年)
遺構 石門、石垣
指定文化財 国の史跡
世界遺産(琉球王国のグスク及び関連遺産群)
再建造物 正殿・門・御嶽・城壁
位置 北緯26度13分1.31秒 東経127度43分10.11秒 / 北緯26.2170306度 東経127.7194750度 / 26.2170306; 127.7194750 (首里城)座標: 北緯26度13分1.31秒 東経127度43分10.11秒 / 北緯26.2170306度 東経127.7194750度 / 26.2170306; 127.7194750 (首里城)
地図
首里城の位置(沖縄本島内)
首里城
首里城
テンプレートを表示

第二次世界大戦中に焼失後、1992年に柱・壁・瓦など朱色を基調として再建された[2][3][4][5]。しかし、2019年10月31日に正殿など主要7棟が火災で焼失し[6]、その後復興作業が進められている[7]

概要 編集

 
首里城の空中写真(2010年)
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。
 
城壁
 
城内より市街を望む

琉球王朝の王城で、沖縄県内最大規模の城であった。戦前は沖縄神社社殿としての正殿などが旧国宝に指定されていたが[8]1945年(昭和20年)の沖縄戦と戦後の琉球大学建設によりほぼ完全に破壊され、わずかに城壁や建物の基礎などの一部が残っている状態だった。

1980年代前半の琉球大学の西原町への移転にともない、本格的な復元は1980年代末から行われ、1992年(平成4年)に、正殿などが朱色を基調とした形で完成した[2][3][4]

1993年(平成5年)に放送されたNHK大河ドラマ琉球の風」の舞台になった。1999年(平成11年)には都市景観100選を受賞。その後2000年(平成12年)12月、首里城跡(しゅりじょうあと)として「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の名称で世界遺産に登録されたが、復元された建物や城壁は世界遺産に含まれていない。

2019年10月31日未明の火災により、正殿を始めとする多くの復元建築と収蔵・展示されていた工芸品が焼失または焼損した。

周辺には同じく世界遺産に登録された玉陵(たまうどぅん)、園比屋武御嶽(そのひゃんうたき)石門のほか、第二尚氏菩提寺である円覚寺(えんかくじ)跡、国学孔子廟跡、舟遊びの行われた池である龍潭、弁財天堂(べざいてんどう、天女橋)などの文化財がある。

所在地・管理 編集

現在の首里城は正殿など主要建物が那覇市首里当蔵町(旧:首里南風之平等當之藏)に、首里城公園や玉陵など一部が首里金城町(旧:首里真和志之平等金城)に所在する。守礼門龍潭池は首里真和志町(旧:首里真和志之平等眞和志)に所在する。

建屋は国の所有であり、2019年2月1日以降、管理および運営が国から沖縄県に移管された。なお同県管理期間は2019年2月1日から2023年1月31日までと指定されている[9]。同県は、国が管理運営を委託していた一般財団法人沖縄美ら島財団に、引き続き2月以降も管理業務を委託している[10]

歴史 編集

創建 編集

首里城の創建年代は明らかではない。尚氏歴代居城の正殿は、かつて百浦添(ムンダシー[11])と呼ばれ、敬称では御百浦添(ウムンダシー)と称された[注釈 1]。近年の発掘調査から最古の遺構は14世紀末のものと推定され、三山時代には中山の城として用いられていたことが確認されている。おそらく、13世紀末から14世紀のグスク造営期に他の沖縄の多くの城同様に成立したものと考えられる。

王家の居城としての利用開始 編集

 
1853年6月、首里城を訪れたペリー提督。城内に軍人を入れることを恐れた王府は北殿を開けたが、偽役人が応じ、正殿や中枢部を守った[12]

尚巴志が三山を統一し琉球王朝を立てると、首里城を王家の居城として用いるようになった。同時に首里は首府として栄え、第二尚氏においても同様だった。史書に記録されている限りでも、首里城は数度にわたり焼失している。焼失の度に再建されてきたが、良材が不足しがちな沖縄では木材の調達が問題となり、薩摩藩からの木材提供で再建を行ったり、将来の木材需要を見越して本島北部での植林事業を行ったりしている。

歴代城主 編集

第一尚氏)尚巴志 - 尚忠 - 尚志達 -<中略>- (第二尚氏尚円 - 尚宣威 - 尚真 -<中略>- 尚育 - 尚泰

志魯・布里の乱による一度目の焼失 編集

一度目の焼失は1453年(享徳2年)に第一尚氏尚金福王の死去後に発生した王位争い(志魯・布里の乱)であり、城内は完全に破壊された。再建された城の外観と構造については、『李朝実録』に記述がみられ[注釈 2]1456年2月の目撃記録として、首里城は、「外城」「中城」「内城」の3地区に分かれ、外城には倉庫や厩、中城には200余人の警備兵、内城には2層の屋根を持つ「閣」があり、内部は3階建てで、3階は宝物を保管し、中層には王が滞在する場所があり、侍女が100余人控え、1階は酒食が供される集会所となっていたと記述されている。

初, 丙子年(※1456年)正月二十五日船軍梁成等濟州發船逢風, 二月初二日漂到琉球國北面仇彌島。……過一月歸王城, 王城凡三重, 外城有倉庫及廐, 中城侍衛軍二百餘居之, 內城有二三層閣。……其閣覆以板, 板上以鑞沃之。上層藏珍寶, 下層置酒食, 王居中層, 侍女百餘人。……一, 七月十五日上佛寺, 記亡親姓名, 置於案上, 奠米於床, 以竹葉灌水於地, 僧則讀經, 俗則禮拜。……一, 奴婢日本人, 雖切族皆賣爲奴婢, 國王親近使令, 皆所買也。或有女國人來贈奴婢者。……一, 國王葬禮, 鑿巖爲壙, 壙內四面編板立之, 遂定棺作板門以鑰鎖, 使之墓前及兩傍, 構屋守墓人居之。 環墓築石城, 城有一門。……
肖得誠等八人, 今年(※1462年)正月二十四日, 羅州發船, 二月初四日, 漂到琉球國 彌阿槐島。……一, 國王居於二層閣, 其閣皆著丹艧[13], 覆以板, 每鷲頭以鑞沃之。 ……一, 國王年三十三歲。 一, 國王有子四人, 長子年十五許, 餘皆幼。……王子不與國王同處, 別在他所。一, 舊宮在所居宮城南, 其層閣、城郭制度與常居宮同。 時時往來, 或二三日、或四五日留居焉。 — 世祖恵荘大王實録,第二十七之九,世祖八年二月辛巳の条.李朝実録、[14]

二度目と三度目の焼失 編集

二度目の焼失は1660年(万治3年)のことであり再建に11年の年月を要した。1709年(宝永6年)には三度目の火災が起き正殿・北殿・南殿などが焼失した。この時は財政が逼迫しており、1712年(正徳2年)に薩摩藩から2万本近い原木を提供されている。1715年(正徳5年)再建。

なお、1712年(正徳2年)発行の「和漢三才図会」(寺島良安・編)には首里城が「琉球国」の項の挿絵(地図)のなかに描かれている[15]。1719年冊封副使・徐葆光『冊封琉球全図』の「中秋宴図」に首里城が描かれている[16]

琉球処分以後 編集

1879年(明治12年)の沖縄県設置に至る琉球処分以後は、正殿など首里城の建物は政府の所在地としての役割を喪失し、日本陸軍の第6師団(熊本)の軍営として、その後は首里区(後の首里市)に払い下げられ、沖縄県立首里高等女学校(首里尋常高等小学校女子部、沖縄県立女子工芸学校)の校舎として利用された[17]

1912年に小学校が建てられた後、首里城は老朽化が激しく、荒廃した正殿に倒壊の危険があるとして1923年には正殿の取り壊しも検討された。しかし、沖縄の文化調査を行っていた東京帝国大学教授伊東忠太鎌倉芳太郎ら関係者の奔走により取り壊しは中止となり、1897年制定の古社寺保存法の対象になるよう、正殿の背後に沖縄神社を建立し、正殿を神社の拝殿と位置付けることで国の予算で修復できるよう取りはからった。1929年国宝保存法が制定されると国宝に指定されて国に保存されることとなった[18]。正殿は県社沖縄神社の社殿となり源為朝と歴代国王が祀られた(源為朝が琉球へ逃れ、その子が初代琉球王舜天になったという説がある[注釈 3])。

太平洋戦争前 編集

 
戦災で失われる前の正殿(空手演武) - 1938年(昭和13年)

正殿は1925年(大正14年)に特別保護建造物(のち旧国宝)に指定された(指定名称は「沖縄神社拝殿」)[25]。昭和初期(1927年(昭和2年) - 1932年(昭和7年))に正殿の改修工事が行われた[26]

沖縄戦による四度目の焼失 編集

 
琉球大学が設置された頃の首里城跡(1962年8月撮影)。手前の池は龍潭

太平洋戦争中の沖縄戦で、旧日本軍は首里城の下に地下壕を掘り陸軍第32軍総司令部を置いたこともあり、1945年5月25日から3日間に渡りアメリカ軍艦ミシシッピなどから砲撃を受け、27日に焼失したとされる(今も、龍潭池には、地下壕の入り口や弾痕などが確認できる。なお第32軍司令部壕は首里城地下に現存するが陥没のおそれなど一般公開は困難との県の見解[27])。さらに日米両軍の激しい闘いで、首里城やその城下の町並み、琉球王国の宝物・文書を含む多くの文化財が破壊された。5月27日の日本軍南部撤退の際には、歩行不能の重傷兵約5000名が首里城の地下陣地で自決した。宝物庫は奇跡的に戦災を免れたが、中の財宝は全て米軍に略奪された。戦後しばらくして一部が返還され、また所在が明らかになり返還に向け交渉中のものもある。また近年尚家が保有していた琉球王国関連の資財が寄贈され、沖縄県立博物館・美術館などで保管・展示されている。

戦後は首里城跡に琉球大学が置かれ、多くの遺構が撤去あるいは埋められたが、首里城の再建は戦後間もなくより、多くの人々の悲願だった。

戦後の再建 編集

 
昭和後期から平成にかけて再建された城内全景

1958年(昭和33年)、守礼門が再建されたのを皮切りに円覚寺門など周辺の建築から再建が始まる。1972年(昭和47年)、日本復帰後に国の史跡に指定(1972年5月15日指定)され、城の入り口に当たる歓会門と周囲の城郭が再建された。

琉球大学の移転による本格開始 編集

1979年(昭和54年)に琉球大学が首里城跡から移転すると1980年代に県および国による首里城再建計画が策定され、本格的な復元がはじまった。1989年(平成元年)11月より[28]、遺構の発掘調査や昭和初期の正殿改修図面・写真資料、古老の記憶などを元に、工芸家や職人を動員した当時の装飾・建築技術の復元作業が行われて正殿他の再建が始まった[29]。屋根瓦については色についてさえ記録がなく、当時を知る老人を集めて話を聞いても赤~黒まで意見がバラバラで難航した。すでに琉球瓦を生産しているのは奥原製陶ただ1軒だけであり、4代目主奥原崇典の尽力によって首里城の瓦が復元された[30]。なお、2014年に米国立公文書館から沖縄戦で焼失前の首里城のカラー映像が発見されており、それによると、本殿の屋根瓦は黒く映っている[31][出典無効][32]が、経年で溜まった塵や煤の影響なのか、瓦自体が黒い色であるのかまでは不明である。一方、琉球大学付属図書館のウェブサイトで公開されている写真が戦前も黒い瓦だったとする根拠とされている資料の一つであるが、これはモノクロ写真に着色したものである。また、瓦を研究している沖縄国際大学上原靜教授(考古学)によると、琉球王国では16世紀後半から中国系の灰色(黒)の瓦が焼かれていたが、17世紀末から赤瓦に移行し、灰色の瓦は燃料となるまき不足のため19世紀初めには生産されなくなったと推定している[33]

首里城の外壁は『首里那覇鳥瞰図屏風』は赤と白[34]、1719年冊封副使・徐葆光『冊封琉球全図』の「中秋宴図」に描かれた首里城の外壁は白色[16]、19世紀初頭『琉球貿易図屏風』は黒色[35]、『首里那覇鳥瞰図』は黒色[36]、王国時代の公的な画家・友寄喜恒[37]の『首里城図[38]』は黒色、阿嘉宗教『首里那覇図[39]』は白色、『首里那覇港図屏風』は黒色[40]、琉球朝日放送にて2019年11月12日午後6時35分から放映された那覇市歴史博物館の 『首里那覇鳥瞰図』では赤と白または黒[41]、 『沖縄首里城図』では木地[42]にて描かれている。

昭和大修理の際、見本の柱の古材に弁柄が残っていたという証言から柱は弁柄色に決められた。昭和大修理の際の内壁に弁柄が残っていたという記述から推定して外壁も弁柄色とされた。

昭和三年に行われた大修理の際には、彩色はほとんどはげ落ちてしまっていた……正殿の塗装・彩色についての一級資料は、一七六八年の改修時の資料「百浦添御殿普請付御絵図井御材木寸法記」である。ところが、この資料は向拝部や御差床などの重要なところだけの記録になっており、柱や壁、天井などの彩色の記述はない。

……正殿の外壁及び内壁については、塗られていなかった、あるいは分からなかったという証言しか得られなかった。……「懸社沖縄神社拝殿構造様式説明書」や「沖縄神社拝殿修理工事関係資料」などの文献には、内壁板に弁柄色が残っていたという記述があることから、内壁については弁柄色であると推定できる。なお、外部と内部の柱はともに証言などから弁柄色と結論づけていたが、柱と壁の色の調和の観点からして、内部の柱と壁が同じ弁柄色ならば、外部の柱と壁も同じでなければ建具の色との調和がとれなくなってしまう。建具は表と裏は同じ色であるはずだからである。このため、外壁についても弁柄色を採用することになった。……

【柱の色】正殿の色のうち、向拝部分を除く柱と壁の色については、文献からは全く情報が得られなかった。……名前は新垣恒篤氏、当時九二歳であられた。……既に古老などのヒヤリングを通じて、剥げ落ちる以前の彩色のことを知っておられる方はいないとされていたが、新垣氏の登場を契機に古老の体系的なヒヤリング調査の必要性が生じ、……正殿の昭和の修理工事に直接携わった方に出会うことができた。その方は浜元朝功氏といい、現場で実際に彩色顔料の調合をやっていたとのことだった。また、見本として柱の古材が残っており、そこには弁柄が残っていたそうである。浜元氏のつてで、当時現場の指揮をされていた湧田森徳氏からもその証言の確認がとれたところである。そして、この証言がこの時点における決定的な根拠となって今の首里城の姿がある。 — 高良倉吉,福島清,平良啓,加藤真司、[43]
伝説の赤い城は、本当に赤かったのか。……「かつては赤い城だった」という言い伝えは残っていたが、その"赤"を示す根拠はどこにもなかった。「昭和の大修理の図面にも、色に関する記載はなかった。戦争で焼失する前の首里城を覚えているという老人もいたが、その当時の首里城は老朽化し、塗ってあった色は剥げ落ちていた。……プロジェクトのメンバーの一人が、人間国宝だった故・鎌倉芳太郎の著書を読んでいた。……鎌倉は、かつて首里城を救ったことのある人物だった。一九二三年(大正一二)年、首里市は財政悪化から首里城の維持管理ができなくなり、取り壊しを決めた。これを知った鎌倉は、東京に住んでいた建築家の伊東忠太とともに内務省に働くかけ、取り壊しを中止させたのだ。……鎌倉の遺品は沖縄県立芸術大学へ寄贈されていた。……古文書には『百浦添御殿普請付御絵図並御材木寸法記』と記されていた。……壁の色の特定は、難航を極めた。プロジェクトのメンバーは、戦前の首里城を知る老人たちの証言を集めた。

「薄い黒だった」
「触ると手が黒くなった」
 壁が赤だったという証言は一つも得られなかった。が、黒というのは、塗装の色ではない。伝説の城は、確かに赤かったのだ。それを明らかにしたのは、「昭和の大修理」で彩色工事に携わった経験を持つ古老の記憶だった。

「弁柄の顔料がわずかに残っていた」 聞き取り調査を行った平良は、……"記録"にないことも、"記憶"には残されていた。古老の力なしに首里城の復元は成し得なかったかもしれない。 — NHK「プロジェクトX」制作班、[44]

塗料は漆が使用されていたが、技法は新たに模索された。

尚家資料を調べると、琉球漆器を作る貝摺奉行所[45]の職人たちが建物の塗装に参加していたことが分かった。それを知り、正殿は巨大な琉球漆器だと理解した。[46]
首里城の補修も貝摺奉行が担当したのだが、現存する資料の範囲内では具体的な工程は不明だという[47]

1462年、『李朝実録』には、宮古島へ漂着した肖得誠達は首里城と思われる城の国王が住む2階の閣は丹漆(油漆)[13]ではなく丹艧(細かい赤い色の土で塗装された彩色(丹青))[13]と報告している。

肖得誠等八人, 今年(※1462年)正月二十四日, 羅州發船, 二月初四日, 漂到琉球國 彌阿槐島。……一, 城有三重, 皆石築, 城高如我國都城而稍高, 城門亦如我國。其城回互如曲水, 兩城相距如一匹布長。一, 國王居於二層閣, 其閣皆著丹艧[13], 覆以板, 每鷲頭以鑞沃之。……一, 國王年三十三歲。一, 國王有子四人, 長子年十五許, 餘皆幼。……王子不與國王同處, 別在他所。一, 舊宮在所居宮城南, 其層閣、城郭制度與常居宮同。時時往來, 或二三日、或四五日留居焉。 — 世祖恵荘大王實録,第二十七之九,世祖八年二月辛巳の条.李朝実録、[14]

1992年首里城復元では漆と乾性油桐油が交互に多層塗りされたが、酸化重合反応[48][49]や2019年火災時の炎の勢いを強めた可能性が指摘されている[50][51][52]

漆は紫外線に弱いという性質がありますから、漆の上に桐油を塗って、研磨して、また漆を塗ってというのを繰り返して、最終的に弁柄色に仕上げます。 — 諸見由則、[53]
外壁の塗装の工程はなんと27にも及び、桐油(とうゆ)と弁柄を混ぜたものを塗っているのが特徴だ。 — 萩原さちこ、[54]

国営沖縄記念公園開園以後 編集

1992年(平成4年)11月2日には正殿を中心とする建築物群、そこへ至る門の数々と城郭が再建されたことで、首里城公園(国営沖縄記念公園)が開園した。首里城を中心とした一帯が首里城公園として整備・公開がすすめられ、正殿の裏側にあたる城郭や建築物群の再建事業も引き続き行われた。2000年(平成12年)には首里城跡(しゅりじょうあと)として他のグスクなどとともに「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の名称で世界遺産に登録された。2006年(平成18年)4月6日、日本100名城(100番)に選定された。約30年にわたる復元工事が2019年1月に完了した[55]。2月には国王が家族や女官と暮らした御内原(おうちばら)が公開された[56][57]

2019年の火災による五度目の焼失 編集

2019年(令和元年)10月31日未明に火災が発生、正殿と北殿、南殿が全焼した[58][59]。歴史上五度目の焼失となった。

令和の再建 編集

2019年に焼失した正殿再建の起工式2022年11月3日に沖縄県那覇市の首里城公園内特設会場で行われた[60]。26年秋の完成を目指す[61]

首里城の構造 編集

 
首里城の全体図
1-正殿 2-北殿 3-南殿 4-奉神門 5-番所 A-守礼門 B-歓会門 C-瑞泉門 D-漏刻門 E-広福門 F-久慶門 G-右掖門 H-木曳門

日本の他地域の城とは異なり、首里城は中国の城の影響を大きく受けている。門や各種の建築物は漆で朱塗りされており、屋根瓦には初期は高麗瓦、後に琉球瓦(赤瓦)が使われ、各部の装飾には国王の象徴であるが多用された。また、戦乱のない琉球王朝時代に再建されていることもあり、軍事目的よりも政治の中心地としての役割を中心にして設計されている。城郭は他のグスク同様、琉球石灰岩で積み上げられている。

 
「龍樋」横の石碑

首里城は第二尚氏王朝時代の15世紀後半から16世紀前半にかけて建設された外郭と、第一尚氏王朝時代の15世紀前半ごろに建設された内郭という二重の城壁に囲まれ、御庭(うなー)と呼ばれる広場に面して立つ正殿・北殿・南殿・奉神門などの建物は内郭に集中している。内郭には瑞泉門、漏刻門など9つの門が、外郭には歓会門、久慶門など4つのアーチ門があった。城の正門である歓会門(別名・あまえ御門(うじょう))、または通用門である久慶門(別名・ほこり御門)を経て外郭内部に入ると、内郭の入り口である瑞泉門(別名・ひかわ御門)に至る。瑞泉門には「龍樋」という名の泉があり、龍の頭の形をした銅製の樋から水が流れ出している。ここには「中山第一甘露」の石碑があり、中国の冊封使が18世紀前半から19世紀後半にかけて残した碑刻(冊封七碑)がある。

瑞泉門を通り、漏刻日時計で時間を計測していた漏刻門(別名・かご居せ御門)を抜けると、司法や寺社宗廟関係の機関が入居していた楼閣・広福門(別名・長御門)に至る。広福門の内側は、系図座・用物座(家系図や城内の物品を管理する機関)や、御庭につながる奉神門、祭祀空間である「京の内」(けおのうち)に囲まれた下之御庭(しちゃぬうなー)が広がる。ここは御庭に入る前の控えの場であり、首里城の10ある御嶽のひとつ・首里森御嶽(すいむいうたき)がある。「君誇御門」(きみほこりうじょう)とも呼ばれた奉神門をくぐると正殿などに囲まれた御庭が広がる。

 
正殿前の御庭(うなー)

正殿の前には、家臣らが謁見したり中国からの冊封使を迎え入れたりするための御庭(うなー)と呼ばれる広場が設けられている。それを取り囲むように行政施設である北殿、儀礼などに用いられた南殿、御庭への入り口となり行政施設も入っていた奉神門が建てられている。さらにそれを各種の門・城壁が取り囲む形になっている。これらの構造には、中国の紫禁城との類似性も指摘されている。南殿は薩摩藩の接待のため使われたので、ここのみ和風の意匠が用いられていた。

 
正殿内部の玉座(復元)

王の居住する中心部は正殿(せいでん)と呼ばれ、別名「唐破風」(からふぁーふ)と呼ばれた。中には1階と2階の両方に御差床(うさすか)という玉座が設けられ、2階の御差床の上には清国皇帝から贈られた扁額が飾られていた。沖縄戦で全て失われたが、康熙帝の贈った「中山世土」(ちゅうざんせいど)、雍正帝の贈った「輯瑞球陽」(しゅうずいきゅうよう)、乾隆帝の贈った「永祚瀛壖」(えいそえいぜん)の3つの扁額が本人の筆跡や落款を再現した上で復元され飾られている。正殿の1階は国王が政務をおこなう場所で「下庫理(しちゃぐい)」と呼ばれており、正殿の2階は王妃や女官らの使用する「大庫理(うふぐい)」と呼ばれる場所であった。2階の御差床は重要な儀式のために使うものであり、2階南東隅の「おせんみこちゃ」という部屋は国王や女官らが祭祀を行う場所であった。

南殿の南側には王が日常的に執務する建物であった書院および鎖之間(さすのま)がある。書院・鎖之間庭園は琉球のグスク内にある唯一の庭園で、石灰岩の岩盤を生かしてソテツなどを配しており中国の使節からも名園と評価されていた。遺構の保存状態もよく、2008年8月に復元公開された。2009年7月には書院・鎖之間庭園ともに日本国の名勝に指定された。

正殿の裏側は「御内原」(うーちばる)と呼ばれる私的な生活空間に当たり、正殿後方の後之御庭(くしぬうなー)という広場を中心にいくつかの建物があったが、1990年代後半からかつて存在した建物の復元のための発掘や建設工事がすすんでおり、2019年2月1日に御内原全体が新規開園ゾーンとして観光客に開放された[62]。御内原の入り口に当たる淑順門(別名・みもの御門、うなか御門)が2010年に、王の住む「二階御殿」(にーけーうどぅん)が2000年に再建されているほか、王妃らの寝室があり国王以外の男性は入れなかった「黄金御殿」(くがにうどぅん)、調理を行う「寄満」(ゆいんち)、王の側近である近習らが控える「近習詰所」(きんじゅうつめしょ)、王の休息の場である「奥書院」(おくしょいん)が2014年に復元公開された[63]。王女の住まいであり王位継承の際には儀式の場となる「世誇殿」(よほこりでん)や女官たちの生活する「女官居室」は2017年に竣工した。その東奥には、国王逝去の際に遺体を安置する寝廟殿(古写真などの資料がないため未復元、建物の輪郭部のみ地面に表示)を取り囲む石垣とその入り口である白銀門が再建されている。首里城の東の門である継世門(別名・すえつぎ御門)は1998年に再建された。この門はもともと倭寇襲来に備えて16世紀半ばに造られたもので、日常生活用品の城内への搬入や、国王逝去時に王子がこの門から入り世誇殿で王位継承を行う儀式のために使われた。城郭の東端には、「東のアザナ」(あがりのあざな)と呼ばれる物見台があり、標高140メートルの城内最高地点から東シナ海と太平洋の両方を望むことができる。漏刻門や「西のアザナ」とともに時刻を知らせる合図を行う場所でもあった。

 
正殿地下の旧遺構。焼失に伴い露見し、初公開された(再建工事期間限定)=世界遺産

本来の木造建築として復元された建物は正殿および書院・鎖之間のみである。正殿を再建するに当たり、沖縄本島北部の山から大木を運ぶ「木曳式」などの儀式が行われたが、実際の構造材の大半は台湾から輸入されたタイワンヒノキか、日本本土産のヒノキアスナロである。沖縄で伝統的に高級材とされていたチャーギ(イヌマキ)やオキナワウラジロガシは資源枯渇のため[64]、前者は日本本土産のものが一部でのみ使用された。他の建物ではコンクリートを用いるなど外観のみの復元といえる。旧来の城壁は一部に残っており、新しい城壁の建設の際に発掘され利用されたため、地表近くに旧来の城壁の姿を見ることができる。これが唯一残ったオリジナルの首里城の遺構である。首里城の復元建物群は文化財にも世界遺産にも該当しない。

宗教的役割 編集

 
下之御庭の中央にある首里森御嶽

首里城は政治・軍事の拠点であるとともに、琉球有数の聖域でもある。以前は城内には十か所の御嶽があり、また首里城内郭の南側の大きな範囲を「京の内(けおのうち)」と呼ばれる聖域が占めていた。「京の内」は十か所の御嶽のうちの数か所と、鬱蒼とした大木の森や岩があるだけの場所だったが、この森こそが首里城発祥の地であり、首里城を国家の聖地とさせている重要な場所であった。聞得大君をはじめとする神女たちが京の内で祭祀を行っていたが、その祭祀の内容やはっきりとした京の内内部の様子はいまだによくわかっていない。ここで行われた祭祀の研究に基づき公開に向けての整備工事が進められ2003年に公開されている。

敷地内の御嶽等は単なる遺跡ではなく、現在に至るまで信仰の対象であった。琉球大学があった頃には、立ち入りが自由であったため、その構内のあちこちの拝所には常に線香やウチカビ(紙銭)が供えられ、主として女性の拝む姿がよく見られたものである。しかし、首里城の復元によって無断の立ち入りが禁止となってしまった。このため「首里城の建物は復活したが拝所としては破壊された」との声もある。

城内施設 編集

 
久慶門と城壁
 
書院・鎖之間庭園
 
首里城内郭へ上る経路
  • 正殿
  • 北殿
  • 南殿・番所
  • 書院・鎖之間 - ともに国の名勝
  • 御庭
  • 奉神門
  • 継世門
  • 右掖門
  • 供屋(万国津梁の鐘) - 元の用途はよくわかっていない。
  • 日影台
  • 広福門
  • 首里森御嶽
  • 京の内
  • 漏刻門
  • 弁財天堂
  • 円鑑池
  • 久慶門
  • 系図座・用物座
  • 瑞泉門
  • 龍樋
  • 歓会門 - 尚真王の代に創建されたとされる正門[65]。石造りのアーチ門の上に櫓をのせた形式。
  • 木曳門 - かつては資材搬入用の門であり通常は石でふさがれていた。現在は車椅子用経路に使われている。
  • 淑順門
  • 西のアザナ
  • 龍潭
  • 園比屋武御嶽石門
  • 守礼門 - 尚清王の代に創建され、中国からの使節を王が出迎えたという。1958年に復元された。
  • 円覚寺
  • 首里杜館

周辺の支城 編集

那覇港を拠点とする海外交易は、琉球王国の重要な経済的基盤であり、港の付近には次のような防備施設や交易品保管施設としてのグスクが設けられていた[66]

三重城(みえぐすく、ミーグシク[67]
港口の防御砲台。那覇港口の北岸側に設けられており、岸との間に石造りアーチ橋が架けられていた。現在はアーチ橋の石組みの一部が残る。
屋良座森城(やらざもりぐすく、ヤラジャーグシク[68]
港口の防御砲台。那覇港口の南岸側に設けられていた。米軍那覇軍港建設により破壊され、現存しない。
御物城(おものぐすく、ウムヌグシク[69][70]
交易品の保管倉庫。那覇港の一番奥に設けられていた。現在は基礎の石垣のみ残る。那覇軍港の一部であり、付近は海上保安庁の巡視船の定係港である。
硫黄城(いおうぐすく、ユーワーグシク[71]
輸出用の硫黄の集荷・保管倉庫。那覇港の一番奥に設けられていた。現存しない。

ギャラリー 編集

ここでは2019年火災による焼失前の建屋や関連画像を幅広く列挙する。

イベント 編集

  • 首里城祭 - 10月下旬
  • 首里文化祭 - 11月3日

交通 編集

 
 
首里城
 
那覇港
 
那覇空港
首里城の位置(那覇市)
 
 
首里城

鉄道 編集

沖縄都市モノレール線(ゆいレール)首里駅より、徒歩(約15分)または路線バス(約3分)。いずれも首里城下の街並みを見ながら現地に至る。

上記のほか、同儀保駅も比較的近隣にあり、徒歩(約10数分)で至ることが可能である。

路線バス 編集

最寄りのバス停は「首里城前」である。「7番・首里城下町(久茂地)線」(那覇バス市内線)、「8番・首里城下町線」(那覇バス市内線)が経由している。

なお、最寄りバス停ではないが、下記のバス停も比較的近隣にある。

  • 「首里城公園入口」バス停
    • 1番・首里牧志線 (那覇バス市内線)
    • 7番・首里城下町(久茂地)線(那覇バス市内線)
    • 8番・首里城下町線 (那覇バス市内線)
    • 14番・牧志開南循環線(那覇バス市内線)
    • 17番・石嶺(開南)線 (那覇バス市内線)
    • 346番・糸満西原(鳥堀)線 (那覇バス市外線)

2019年の火災 編集

 
 
 
 
 
 

概要 編集

2019年(令和元年)10月31日未明に火災が発生し、正殿と北殿、南殿が全焼した[58][59]。ほか、合わせて7棟の建屋、延べ4,800平米が焼失した[72]。警察と消防は火災の原因などを調べている[58]。人的被害は、消防活動にあたった消防士1名が脱水症状となったほかは鎮火時点まで報告されていない[72][73][74]

首里城が焼失したのは、1453年1660年1709年1945年に次いで歴史上五度目となった。

消火活動 編集

消防活動は、消防車両延べ60台・延べ人員219人、消防団1団・10人体制で行われた(このうち沖縄県応援本部8本部15台74人が消防応援)[73]

正殿からの出火と見られている[73]。消火設備として放水銃ドレンチャーが設置されており、ドレンチャーは作動したが、放水銃4基のうち、正門裏手に設置されていた放水銃1基が使用できなかった。また、設備されていた消防用タンクの用水約79トンは10数分余りで払底した[75][76][77]

正殿など建屋の火災が激しく、火の粉が周辺の住宅街など広範囲に飛散したため、一時、県警や消防などが、首里、石嶺、城南地区などの周辺住民を避難誘導した。当日午前4時頃、避難所も一時開設され、周辺住民30人程が一時避難した。同日閉鎖された[78][79]

被害状況 編集

総務省消防庁によると以下の建屋が焼損した。延べ4,800平米が焼失[58][59][72][76]

  • 全焼 - ほぼ全焼
    • 正殿 100%
    • 北殿 100%
    • 南殿・番所 74%
    • 書院・鎖之間 93%
    • 黄金御殿池(寄満・奥書院) 80%
    • 二階御殿 68%
  • 半焼
    • 奉神門
  • 一部焼損
    • 女官居室

焼失した建屋内には琉球王国時代からの1500点以上の絵画や漆器などの工芸品も収蔵されていた[80][81]。次を含む、正殿に常設の展示品421点が焼失、焼損した[82][83][84][85]

  • 国王椅子(復元、前田孝允作)
  • 扁額「中山世土」(復元)
  • 扁額「永祚瀛壖」(復元)
  • 皮弁冠(レプリカ)
  • 琉球国王印(レプリカ)
  • 大龍柱残欠(一部損)
  • 雪中花鳥図(17世紀作)
  • 尚育王書

11月2日、収蔵品のうち、南殿と「寄満」の2収蔵庫は耐火性があり、これらに収蔵されていた史料は防火扉により水濡れの可能性はあるが焼失を免れていた事が判明した。収蔵庫から搬出し状態を確かめているが、高熱や火災によるススの付着や変形などの一部損が一部に見られている[85][86][87]

2収蔵庫には、次を含む1,000点余りの文化財がある[85][86]

  • 黒漆菊花鳥虫七宝繋沈金食籠
  • 黒漆牡丹七宝繋沈金食籠
  • 白澤之図
  • 刀剣「青貝巴紋散合口拵」
  • 尚育王御後絵
  • 催事用国王唐衣
  • 稲妻に雪輪と団扇に吉祥花と鶴亀文様紅型

火災原因 編集

木造であること、赤い塗装に沖縄独特の「桐油」を使っていたことが火の勢いを早めた可能性がある。消防によると、現場は輻射熱が強かったことにより、離れた所の木材も温度が上がり自然発火したことや、現場に近づくことすら困難になり、放水していた消防隊員らが一時退避したことなども、消火を拒まれた原因とみられる[74][88]

警備員らの証言や火災発生直後の防犯カメラの映像などから、火元は正殿1階の北東部分とほぼ断定された[89][90]。この付近に設置された分電盤にショートしたような痕跡や、分電盤から電源を取っていた延長コードにショート痕が多数見つかっていた事が判明した。コードについて鑑定を依頼する(出火原因の解明にはまだ至っていない)[91][92]

文部科学省は、2019年9月に文化財スプリンクラーの設置を推奨する文書を配布していたが、建屋内部にスプリンクラーは設置されていなかった[注釈 5]。指定管理者側が文書について把握していなかった可能性がある[93][注釈 6]。文化庁は同年4月のノートルダム大聖堂の火災を受けて文化財防災の防火対策ガイドラインを定めたが、首里城火災を受けて、10月31日に文化財調査官4名を現地に派遣し、同日付で改めて4月17日付けで通達した文化財の防火管理等の点検・確認と共に、復元建物についても防火対策の確認を各地方公共団体等に発出した[94][95]

煙感知器は正殿2階と3階には設置されていたが、火元となった正殿1階には設置されていなかった。また、夜間の火災を想定した訓練は行われていなかった[96]

時系列 編集

  • 31日
    • 2:34 - 建屋内の熱反応センサーが異常を感知[89]
    • 2:40 - 火災発生時刻と見られているが調査中[73]
    • 2:41 - 城内の火災報知器が作動、火災覚知。警備員が正殿から煙が上がっているのを発見。以降、他の建物にも次々と延焼する[72][73]
    • 2:50 - 消防隊が到着[89]
    • 4:00頃 - 正殿が激しい火災により崩落し始める[97]
    • 4:24 - 消防庁は災害対策室を設置、第1次応急体制施行。[73]
    • 5:35 - 正殿は完全に焼け落ちていた[98]
    • 11:00 - 火災の大勢を「鎮圧」。消防活動は継続[73][99]。消防庁職員ほかを現地派遣。
    • 13:30 - 完全に「鎮火」(那覇市消防局発表)[100]。11時間程にわたり燃え続けた[72][73]
  • 2日
    • 原因究明のため消防研究センター職員1名派遣[73]
  • 4日
    • 消防研究センター職員2名派遣[73]

影響 編集

この火災を受け、周辺の学校では児童や生徒が精神的に不安定となり遅刻や学校を休むなどの影響が出た[101]

火災の影響で首里城公園、園内施設は臨時休園となり、11月3日開催予定の首里文化祭「琉球王朝祭り首里」を含め各イベントが中止となった[102]。11月1日から、守礼門から歓会門までなど周囲の規制が一部解除され、当該エリアには一般客が入れるようになった[103]。12月12日には奉神門付近まで公開エリアが拡大された[104]

旅行会社やバス会社は、修学旅行ほか団体旅行ツアーのルート変更(識名園、国際通り、ひめゆりの塔など)に追われた[105]

また、2020年東京五輪聖火リレーのコースにも予定されていて、守礼門前から出発する方向で検討中であったが[80][106]新型コロナウイルス感染拡大による沖縄県のまん延防止等重点措置により首里城での聖火リレーは中止となった[107]

この火災を受けて、岩手・平泉中尊寺、奈良・法隆寺など、日本国内の他の世界遺産を含む文化財関係者、担当者にも防火対策などに関して緊張が走った[108]。また、世界文化遺産が数多くある京都で、消防や文化庁関係者らにより緊急に防火対策の会議が二条城にて開催された[109]ほか、日本国内各地の重要文化財の施設等で、防火体制につき消防の立入検査や、防火訓練の実施があった[110][111]

首里城公園近くの円鑑池で11月1 - 6日にかけ水面が変色し、90匹の魚が大量死しているのが発見された[112]

声明・反応 編集

再建への動き 編集

 
再建工事期間中のみ実施される開門式(朝9時前)
 
屋外展示公開の被災遺構に対し、被災遺物を公開する展示室
 
将来再建される首里城をVRで先行体験するコーナー
  • 那覇市が募集した寄付のうちクラウドファンディングサイトによるものが、2019年11月21日時点で累計総額5.7億円を突破した。また那覇市その他の1.7億円、沖縄県の2.2億円、沖縄県内報道10社で7000万円の総計で10.5億円となっている[127]
  • 2019年11月、沖縄県議会は再建に向け、県議報酬の半年間月額2万円減額を全会一致で決議した[128]
  • 政府は再建に向けた当面の措置として2019年12月13日、2019年度補正予算に8億円を計上[129]。2026年頃までに再建を目指す方針[130]
  • 2020年1月に被災状況と1992年に復元された際の資料に基づき仕様や建材文化資材)を同じ条件で再建する旨の緊急報告書[131]世界遺産センターへ提出し、2020年6月29日から7月9日に中国福建省福州市で開催予定であった第44回世界遺産委員会において承認を得る予定であったが、新型コロナウイルス感染症の流行により世界遺産委員会の開催が延期された。
  • 2020年2月27日、大龍柱の応急処置が始まり報道陣に公開された。今後は修復作業を一般公開する予定[132]
  • 2022年11月3日、正殿復元整備工事起工式が催された[133]

100万円以上の寄付者 編集

その他 編集

  • 再建の寄付金募集を騙るフィッシング詐欺メールが携帯電話等宛てに多数送信され、事業者は注意を呼びかけている[164]
  • 首里城の管理・運営を沖縄県から委託されている美ら島財団にて年間2,940万円の保険料[165]が支払われており、保険金の受け取りは首里城公園を所有する国で、支払限度額は70億円であることが明らかとなる[166]
  • NHKはウェブサイトで、高精細な空撮画像から首里城の3Dモデルを復元し公開した[167]
  • スマートフォンアプリresaVRで、2018年10月時点の首里城のVR映像が公開されている[168]
  • 2020年1月、霊感商法等で問題となっている世界平和統一家庭連合(旧統一教会)が58万6千円を那覇市に対し寄付している[169]

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 百浦添御普請の御祝のおもろ三首、おもろさうしのおくらつがふしなどに、ももうらおそい(百浦添)がみえる。
  2. ^ 『李朝実録』の記録によれば、1456年、済州島から出航した船が漂流して久米島に漂着した。乗員の梁成なる人物が沖縄本島で首里城の構造を見聞し、朝鮮に帰国後に証言を残している。
  3. ^ 琉球王国正史である『中山世鑑』をはじめ、『おもろさうし』『鎮西琉球記』などでは、源為朝は現在の沖縄県の地に逃れ、その子が琉球王家の始祖舜天になったとされる。この話がのちに曲亭馬琴の『椿説弓張月』を産んだ。日琉同祖論と関連づけて語られる事が多く、この話に基づき、大正11年(1922)には為朝上陸の碑が建てられた。表側に「上陸の碑」と刻まれて、その左斜め下にはこの碑を建てることに尽力した東郷平八郎の名が刻まれている。なお、『中山世鑑』を編纂した羽地朝秀は、摂政就任後の康熙12年(寛文13年(1673))3月の『仕置(しおき)』(令達及び意見を記し置きした書)で、琉球の人々の祖先は、かつて日本から渡来してきたのであり、また有形無形の名詞はよく通じるが、話し言葉が日本と相違しているのは、遠国のため交通が長い間途絶えていたからであると語り、源為朝が王家の祖先だというだけでなく琉球の人々の祖先が日本からの渡来人であると述べている(真境名安興『真境名安興全集』第一巻19頁参照。元の文は「窃かに惟ふは此国人生初は、日本より渡りたる儀疑い無く御座候。然れば末世の今に、天地・山川・五形・五倫・鳥獣・草木の名に至る迄皆通達せり。然雖も言葉の余り相違は遠国の上久しく通融絶えたる故也」)。なお、最近の遺伝子の研究で沖縄県民と九州以北の本土住民とは、同じ祖先を持つことが明らかになっている[19][20]高宮広土鹿児島大学)が、沖縄の島々に人間が適応できたのは縄文中期後半から後期以降である為、10世紀から12世紀頃に農耕をする人々が九州から沖縄に移住したと指摘するように、近年の考古学などの研究も含めて南西諸島の住民の先祖は、九州南部から比較的新しい時期(10世紀前後)に南下して定住したものが主体であると推測されている[21][22]2021年11月10日マックス・プランク人類史科学研究所を中心とした、中国日本韓国ヨーロッパニュージーランドロシアアメリカの研究者を含む国際チームが『ネイチャー』に発表した論文によると、宮古島市長墓遺跡先史時代人骨DNA分析したところ「100%縄文人」だったことが分かり、先史時代の先島諸島の人々は沖縄諸島から来たことを示す研究成果となった[23]。また、言語学および考古学からは、中世グスク時代11世紀~15世紀)に九州から「本土日本人」が琉球列島に移住したことが推定でき、高宮広土鹿児島大学)は、「結果として、琉球方言の元となる言語を有した農耕民が本土から植民した。著名な『日本人二重構造論』を否定するという点で大変貴重だ」と指摘している[23][24]
  4. ^ 真物は那覇市歴史博物館に所蔵されている。
  5. ^ 消防法によるスプリンクラーの設置は義務付けられていない。
  6. ^ 指定管理者側が文書について把握していなかったとの報道であるが、首里城は文化財ではない。

出典 編集

  1. ^ 語彙詳細 — 首里・那覇方言”. ryukyu-lang.lib.u-ryukyu.ac.jp. 2020年2月19日閲覧。
  2. ^ a b 首里/首里城正殿 : 那覇市歴史博物館”. www.rekishi-archive.city.naha.okinawa.jp. 2023年9月14日閲覧。
  3. ^ a b 首里城の建物に葺かれていた瓦の色は赤色なのか、灰色なのか”. 沖縄県立博物館・美術館. 2023年9月14日閲覧。
  4. ^ a b 首里城「赤一色」は、ごく最近? 中世は灰色・褐色の屋根瓦、徐々に増えた赤:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル (2022年4月5日). 2023年9月14日閲覧。
  5. ^ 特集|建築関係者11人が語る 私たちの首里城〈漆芸〉”. sumai.okinawatimes.co.jp. 2023年9月14日閲覧。
  6. ^ 首里城火災 コード溶けた痕30カ所 正殿北東の電気設備 火災直前に白い発光体の映像も”. 琉球新報デジタル. 2023年9月14日閲覧。
  7. ^ 復興の軌跡”. 首里城公園 Official Site. 2023年12月9日閲覧。
  8. ^ 正殿(指定名称は「沖縄神社拝殿」)のほか、守礼門、歓会門、瑞泉門、白銀門が旧国宝に指定されていた。(文化庁編『新版 戦災等による焼失文化財 20世紀の文化財過去帳』、戎光祥出版、2003、pp.408 - 410)
  9. ^ 管理 国から沖縄県に移行 沖縄美ら海水族館 首里城有料区域 琉球新報 2019年2月4日
  10. ^ 首里城、スプリンクラー検討せず 国・沖縄県・指定管理者で責任定まらず | 沖縄タイムス+プラス ニュース”. 沖縄タイムス+プラス. 2019年11月4日閲覧。
  11. ^ 語彙詳細 — 首里・那覇方言”. ryukyu-lang.lib.u-ryukyu.ac.jp. 2020年4月27日閲覧。
  12. ^ 首里城にペリーが来た事を知っていますか? 首里城公園
  13. ^ a b c d Koo, Uk-Hee (2018-12-31). “Semantic Analysis of Joseon Dancheong - related Terms in Literature Records”. Journal of architectural history (Korean Association of Architectural History) 27 (6): 19-30. https://doi.org/10.7738/JAH.2018.27.6.019 2020年12月25日閲覧。. 
  14. ^ a b 世祖恵荘大王實録. 朝鮮王朝實錄. 27. 世祖八年二月十六. http://sillok.history.go.kr/popup/viewer.do?id=kga_10802016_002&type=view&reSearchWords=&reSearchWords_ime=# 2020年12月25日閲覧。 
  15. ^ 寺島良安『倭漢三才圖會』(復刻版)吉川弘文館、1906年(明治39年),752頁
  16. ^ a b 沖縄タイムス+プラス ニュース (2017年5月19日). “1719年の琉球を記録した書物、著者は徐葆光と判明 首里城内での御冠船踊伝える”. 沖縄タイムス (株式会社沖縄タイムス社). https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/98117?__twitter_impression=true 2020年11月8日閲覧。 
  17. ^ 戦前の首里城の写真見つかる 「なじみ始めた姿、貴重」(朝日新聞2020年1月31日)
  18. ^ 渡辺豪 (20191101T182000+0900). “首里城焼失に復元事業の権威が落胆 「沖縄伝統木材の調達が困難か」 〈AERA〉”. AERA dot. (アエラドット). 2019年11月28日閲覧。
  19. ^ 篠田謙一 (2009年2月26日). “自然人類学から見たアイヌ民族” (PDF). 内閣総理大臣官邸. オリジナルの2009年4月14日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20090414025044/http://www.kantei.go.jp/jp/singi/ainu/dai5/5siryou.pdf 
  20. ^ “人類の移動誌”. 国立民族学博物館共同研究会. (2010年9月13日). オリジナルの2013年5月14日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20130514213710/http://idoushi.jp/?page_id=86 
  21. ^ “ルーツ解明 沖縄に注目”. 朝日新聞. (2010年4月16日). オリジナルの2010年4月20日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20100420201708/http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY201004160274.html 
  22. ^ “ルーツ解明 沖縄に注目”. 朝日新聞. (2010年4月16日). オリジナルの2011年6月29日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20110629171640/http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY201004160274_01.html 
  23. ^ a b “宮古島先史の人々「北側の沖縄諸島から」「南から」説を覆す 人骨DNA分析で100%縄文人”. 沖縄タイムス. (2021年11月12日). オリジナルの2021年11月13日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20211113042120/https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/862140 
  24. ^ “トランスユーラシア言語は農耕と共に新石器時代に拡散した”. 九州大学. (2021年11月26日). オリジナルの2021年11月27日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20211127021902/https://www.kyushu-u.ac.jp/ja/researches/view/696/ 
  25. ^ 大正14年4月24日文部省告示第236号(参照:[1]
  26. ^ 文化庁編『新版 戦災等による焼失文化財 20世紀の文化財過去帳』、戎光祥出版、2003、pp.487 - 488
  27. ^ 「公開は困難」 首里の32軍壕 県が見解示す”. 琉球新報. 2019年12月17日閲覧。
  28. ^ 木材を運び出す儀式:木曳式は同年11月2日から、また正殿復元の起工式が11月3日に開催された。-琉球新報 2011年1月閲覧
  29. ^ プロジェクトX 第078回 「炎を見ろ 赤き城の伝説—首里城・執念の親子瓦—」 NHK 2002年(平成14年)2月5日放送、2021年(令和3年)6月22日 プロジェクトX 4Kリストア版放送
  30. ^ 色にこだわる情報サイト『カンペフレンズ』達人インタビュー
  31. ^ 首里城、「再建」急務に 92年の復元後も続いていた「研究」と「人材育成」”. J-CASTニュース (2019年10月31日). 2019年11月1日閲覧。
  32. ^ Kyodo News (2019年10月31日). “IN PHOTOS: Okinawa's symbolic Shuri Castle goes up in flames”. Kyodo News. 2020年11月8日閲覧。
  33. ^ “首里城の瓦は“黒”だった? 「中国人好みに捏造」は本当か 真相を探る”. 沖縄タイムス. (2019年12月16日). https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/510854 2019年12月16日閲覧。 
  34. ^ 琉球船と首里・那覇を描いた絵画史料”. 那覇市歴史博物館. 2020年11月8日閲覧。
  35. ^ 岩崎奈緒子 (2000-03). “琉球貿易図屏風・経済学部附属史料館所蔵”. 滋賀大学広報誌 (滋賀大学広報委員会) (創刊): 9. https://hdl.handle.net/10441/3792 2020年11月8日閲覧。. 
  36. ^ 首里那覇鳥瞰図”. 那覇歴史博物館. 2020年11月8日閲覧。
  37. ^ 安里進. “沖縄の地図を知るための10冊”. )沖縄県立図書館. 2020年11月8日閲覧。
  38. ^ 友寄喜恒 (1881年). “首里城図”. 沖縄県立図書館. 2020年11月8日閲覧。
  39. ^ 阿嘉宗教 (1868年). “首里那覇図”. 沖縄県立図書館. 2020年11月8日閲覧。
  40. ^ 首里那覇港図屏風”. TSUNAGARU-MUSEUM. アッチャーアッチャー. 2020年11月8日閲覧。
  41. ^ 中継 焼失逃れた琉球の宝 再建への思い新たに”. 沖縄県那覇市、那覇市歴史博物館: 琉球朝日放送報道制作局 (2019年11月12日). 2020年11月8日閲覧。
  42. ^ [所蔵資料展]むかし沖縄 戦前の資料あれこれ”. 沖縄県南風原町: 沖縄県公文書館. 2020年11月8日閲覧。
  43. ^ 高良倉吉; 福島清; 平良啓; 加藤真司; 首里城公園友の会(編)『首里城の復元~正殿復元の考え方・根拠を中心に~』(財)海洋博覧会記念公園管理財団、2003年3月25日、89-93頁。 
  44. ^ (C)2002 Akira Imai『プロジェクトX 挑戦者たち 願いよ届け 運命の大勝負 炎を見ろ 赤き城の伝説 首里城・執念の親子瓦』(Kindle版)日本放送出版協会、2004年3月9日。 
  45. ^ 貝摺奉行所跡(カイズリブギョウショアト)”. 那覇市歴史博物館. 2020年11月8日閲覧。
  46. ^ 高良倉吉 (2019年11月4日). “焼失から再建へ首里城火災2”. 琉球新報 
  47. ^ 季刊誌「南ぬ風」』 29巻、秋2013年10~12、(財)沖縄美ら島財団、2013年、10頁https://churashima.okinawa/kouhoushi/offset:20/2020年11月8日閲覧 
  48. ^ 上原陽一自然発火のメカニズム(<特集>燃焼と爆発)」『化学と教育』第35巻第3号、公益社団法人日本化学会、1987年、207-210頁、2021年1月4日閲覧 
  49. ^ 金坂武雄「自然発火性物質」『安全工学』第10巻第2号、安全工学会、1971年、105-112頁、2021年1月4日閲覧 
  50. ^ “赤色出す塗料の「桐油」で火勢拡大か 防火体制が不十分の指摘も”. 沖縄タイムスプラス. (2019年11月1日). https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/491971 2021年1月4日閲覧。 
  51. ^ “特有構造が延焼の誘因か 首里城火災、特殊塗料も”. 日本経済新聞. 共同. (2019年11月3日). https://www.nikkei.com/article/DGXMZO51768780T01C19A1CZ8000/ 2021年1月4日閲覧。 
  52. ^ “首里城火災、鎮火まで11時間を要した「複合的要因」”. 産経新聞. (2019年11月1日). https://www.sankei.com/article/20191101-TLTRKQVG4RNZBAPMKZB2CZKZFI/2/ 2021年1月4日閲覧。 
  53. ^ 季刊誌「南ぬ風」』 41巻、秋号2016.10~12、(財)沖縄美ら島財団、2016年、10頁https://churashima.okinawa/kouhoushi/2021年1月4日閲覧 
  54. ^ 萩原さちこ (2019年3月11日). “琉球王朝の文化を反映する、正殿の外壁塗装とデザイン 首里城(2)”. 朝日新聞DIGITAL. https://www.asahi.com/and_travel/20190311/56161/ 2021年1月4日閲覧。 
  55. ^ 首里城、30年に及ぶ復元工事終えたばかり : 国内 : ニュース”. 読売新聞オンライン (2019年10月31日). 2019年10月31日閲覧。
  56. ^ 「首里城御内原 開園を祝う あす 県博で記念公演」『沖縄タイムス』2019年2月23日付21面。
  57. ^ 「またひとつ歴史がひも解かれ 首里城に息吹を」『JCB ザ・プレミアム』第4巻第12号、ジェーシービー、2019年12月、32-33ページ。
  58. ^ a b c d “首里城で火災「正殿」などが全焼 那覇”. NHK. (2019年10月31日). https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191031/k10012157881000.html?utm_int=all_contents_just-in_001 2019年10月31日閲覧。 
  59. ^ a b c “首里城正殿で火災 けが人情報なし 沖縄”. 日本テレビ. (2019年10月31日). https://news.ntv.co.jp/category/society/536196 2019年10月31日閲覧。 
  60. ^ 首里城再建へ「大きな一歩」 正殿工事で起工式 26年秋の完成目指す”. 琉球新報 (2022年11月3日). 2022年11月6日閲覧。
  61. ^ 首里城正殿、再建へ 26年完成向け「起工式」―総事業費120億円・火災3年 時事通信社 時事ドットコム 2022年11月3日配信 2022年11月6日閲覧
  62. ^ 首里城公園、国王や女官らが住んだ男子禁制の「御内原(おうちばら)エリア」を2月1日新規開園。1月28日~31日は無料開放 2019年1月24日 16:40 トラベルWatch
  63. ^ 黄金御殿・寄満・近習詰所、奥書院』完成のお知らせ 首里城公園
  64. ^ 「国産ヒノキで首里城正殿再建 2026年までの工程決定」『林政ニュース』第626号p5 日本林業調査会 2020年4月8日
  65. ^ 首里城研究グループ『首里城入門―その建築と歴史―』ひるぎ社〈おきなわ文庫 47〉、1989年、93ページ。
  66. ^ 『図説 琉球王国』(高良倉吉・田名真之編 河出書房新社 1993年)p57-p58・p68
  67. ^ 語彙詳細 — 首里・那覇方言”. ryukyu-lang.lib.u-ryukyu.ac.jp. 2020年4月27日閲覧。
  68. ^ 語彙詳細 — 首里・那覇方言”. ryukyu-lang.lib.u-ryukyu.ac.jp. 2020年4月27日閲覧。
  69. ^ 語彙詳細 — 首里・那覇方言”. ryukyu-lang.lib.u-ryukyu.ac.jp. 2020年4月27日閲覧。
  70. ^ 語彙詳細 — 首里・那覇方言”. ryukyu-lang.lib.u-ryukyu.ac.jp. 2020年4月27日閲覧。
  71. ^ 語彙詳細 — 首里・那覇方言”. ryukyu-lang.lib.u-ryukyu.ac.jp. 2020年4月27日閲覧。
  72. ^ a b c d e 日本放送協会. “首里城で火災「正殿」などが全焼 那覇”. NHKニュース. 2019年10月31日閲覧。
  73. ^ a b c d e f g h i j 沖縄県那覇市首里城跡火災(第5報)”. 総務省消防庁. 2019年11月9日閲覧。
  74. ^ a b 消火阻んだ猛烈な首里城の炎 危険な状況下で懸命の放水 崩れ落ちる正殿に悲鳴”. 沖縄タイムス+プラス. 2019年11月1日閲覧。
  75. ^ INC, SANKEI DIGITAL (2019年11月2日). “首里城火災 文化財417点焼失 放水銃、熱気で近づけず”. 産経ニュース. 2019年11月3日閲覧。
  76. ^ a b 首里城焼損8棟 那覇消防発表 女官居室も延焼”. 琉球新報. 2019年12月17日閲覧。
  77. ^ 首里城火災、消火中に放水銃1機使えず 情報公開で判明:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル. 2019年12月17日閲覧。
  78. ^ INC, SANKEI DIGITAL (2019年10月31日). “首里城火災、周辺住民30人が一時避難”. 産経ニュース. 2019年11月1日閲覧。
  79. ^ INC, SANKEI DIGITAL (2019年10月31日). “首里城で火災 正殿と北殿ほぼ全焼、南殿も炎上 消防車出動”. 産経ニュース. 2019年10月31日閲覧。
  80. ^ a b 首里城、再建は長期化も 主要7棟が焼失”. 日本経済新聞 電子版. 2019年11月1日閲覧。
  81. ^ 首里城収蔵品、400点超焼失か 出火1時間前は異常なし”. 日本経済新聞 電子版. 2019年11月2日閲覧。
  82. ^ 11時間の猛火耐えた収蔵品 丁寧に運び出す 首里城火災 専門家「王国文化の粋が救われた」 | 沖縄タイムス+プラス ニュース”. 沖縄タイムス+プラス. 2019年11月4日閲覧。
  83. ^ 国王冠、玉座など確認できず 401点、焼失か 首里城火災 | 沖縄タイムス+プラス ニュース”. 沖縄タイムス+プラス. 2019年11月28日閲覧。
  84. ^ 収蔵品1109点現存 首里城火災 尚育王直筆の書焼失”. 琉球新報. 2019年11月28日閲覧。
  85. ^ a b c 首里城火災11時間の猛火 すすで汚れ変形した収蔵品 現存品を公開 | 沖縄タイムス+プラス ニュース”. 沖縄タイムス+プラス. 2019年12月17日閲覧。
  86. ^ a b 「奇跡の龍柱」黒焦げで立つ 首里城火災 美術工芸品は全焼免れる | 沖縄タイムス+プラス ニュース”. 沖縄タイムス+プラス. 2019年11月3日閲覧。
  87. ^ 県文化財漆器 激しく損傷 首里城火災で焼失収蔵品は395点”. ryukyushimpo.jp. 2019年12月17日閲覧。
  88. ^ 赤色出す塗料の「桐油」で火勢拡大か 防火体制が不十分の指摘も”. 沖縄タイムス (2019年11月1日). 2019年11月1日閲覧。
  89. ^ a b c INC, SANKEI DIGITAL (2019年11月2日). “火元、正殿1階ほぼ断定 カメラに映像 首里城火災”. 産経ニュース. 2019年11月3日閲覧。
  90. ^ 首里城、電気系統から出火か 火元、正殿北東とほぼ断定 遺構、大きな損傷なし”. 琉球新報. 2019年11月9日閲覧。
  91. ^ 日本放送協会. “首里城 正殿1階北側の分電盤 ショートした痕のようなもの”. NHKニュース. 2019年11月4日閲覧。
  92. ^ INC, SANKEI DIGITAL (2019年11月7日). “首里城正殿、コード溶けた痕 火災当日も照明点灯か”. 産経ニュース. 2019年11月9日閲覧。
  93. ^ “首里城、スプリンクラーなし 推奨も管理者把握せず”. 琉球新報. (2019年11月1日). https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1018124.html 2019年11月1日閲覧。 
  94. ^ 日本放送協会. “首里城 復元建物は“文化財防火”の範囲外”. NHKニュース. 2019年10月31日閲覧。
  95. ^ 文化財の防火管理等の点検・確認について” (PDF). 文化庁 (2019年10月31日). 2019年11月20日閲覧。
  96. ^ 火元には煙感知器がなかった 夜間の火災を想定した訓練はしていなかった 首里城火災”. 琉球新報. 2019年12月17日閲覧。
  97. ^ 琉球新報 (2019年10月30日). “正殿の屋根の骨組みが落ちてきています。#首里城pic.twitter.com/b23WW0k8o1”. @ryukyushimpo. 2019年10月31日閲覧。
  98. ^ (日本語) 那覇市消防が動画公開 首里城、炎噴く中を消火, https://www.youtube.com/watch?v=X7ymcSyhrak 2019年11月9日閲覧。 Youtube.
  99. ^ 日本テレビ. “首里城6棟全焼 午前11時頃“ほぼ鎮火”|日テレNEWS24”. 日テレNEWS24. 2019年10月31日閲覧。
  100. ^ 首里城火災、1時半に鎮火 那覇市消防局 発生から約11時間後”. ryukyushimpo.jp. 2019年10月31日閲覧。
  101. ^ ショックで学校を休む子も「朝食も食べられなかった」 首里城周辺の学校、児童のケア優先”. 沖縄タイムス (2019年10月31日). 2019年10月31日閲覧。
  102. ^ 首里城火災で「琉球王朝祭り首里」中止 首里城公園は31日から休園”. BIGLOBEニュース編集部. 2019年10月31日閲覧。
  103. ^ INC, SANKEI DIGITAL (2019年11月1日). “飲食店再開も観光客まばら「一日で変わった」首里城火災”. 産経ニュース. 2019年11月4日閲覧。
  104. ^ 首里城奉神門など公開エリア拡大 朝から多くの見物客 焼けた赤瓦、骨組みむき出しに涙する人も 「本当に燃えたんだ」”. ryukyushimpo.jp. 2019年12月17日閲覧。
  105. ^ 沖縄の団体旅行 首里城火災で予定変更に追われる | 沖縄タイムス+プラス ニュース”. 沖縄タイムス+プラス. 2019年11月1日閲覧。
  106. ^ INC, SANKEI DIGITAL (2019年11月28日). “聖火リレー、守礼門で出発 東京五輪沖縄ルート”. 産経ニュース. 2019年12月17日閲覧。
  107. ^ "沖縄、聖火リレー開催の裏側で・・・ スタート地点になるはずだった首里は今【WEB限定】”. 沖縄タイムス+プラス (2021年4月30日). 2022年1月3日閲覧。
  108. ^ 首里城全焼「人ごとではない」 平泉など世界遺産各地”. IWATE NIPPO 岩手日報. 2019年11月1日閲覧。
  109. ^ 日本放送協会. “首里城火災を受け 京都の“世界遺産”で緊急会議”. NHKニュース. 2019年10月31日閲覧。
  110. ^ 首里城火災受け天徳寺など立ち入り検査、秋田市消防本部|秋田魁新報電子版”. 秋田魁新報電子版. 2019年11月9日閲覧。
  111. ^ 日本放送協会. “重要文化財指定の住宅で消防訓練|NHK 首都圏のニュース”. NHK NEWS WEB. 2019年11月28日閲覧。
  112. ^ 「こんな色、初めて…」首里城近くの池に異変 魚90匹以上が死ぬ | 沖縄タイムス+プラス ニュース”. 沖縄タイムス+プラス. 2019年11月28日閲覧。
  113. ^ Tsai Ing-wen, 蔡英文 (2019年10月30日). “蔡英文 Tsai Ing-wen @iingwen - Twitter”. @iingwen. 2019年10月31日閲覧。
  114. ^ 日本放送協会. “首里城火災 「人類の損失」海外からも惜しむ声”. NHKニュース. 2019年10月31日閲覧。
  115. ^ 日本放送協会. “ユネスコ「首里城の再建を支援したい」”. NHKニュース. 2019年11月1日閲覧。
  116. ^ Japón 🇯🇵, 🇪🇸España en (2019年10月30日). “Twitter”. @EmbEspJapon. 2019年10月31日閲覧。
  117. ^ Burney, Ian (2019年10月31日). “Twitter”. @IanBurneyJapan. 2019年10月31日閲覧。
  118. ^ ドイツ大使館 🇩🇪 (2019年10月30日). “Twitter”. @GermanyinJapan. 2019年10月31日閲覧。
  119. ^ 駐日米国臨時代理大使, ジョセフ・M・ヤング (2019年10月30日). “Twitter”. @USAmbJapan. 2019年10月31日閲覧。
  120. ^ INC, SANKEI DIGITAL (2019年10月31日). “首里城火災 菅官房長官「再建に政府として全力」”. 産経ニュース. 2019年10月31日閲覧。
  121. ^ 熊本城が被災した熊本県が首里城復興支援募金を開始 知事「地震で培ったノウハウを提供したい」”. ryukyushimpo.jp. 2019年11月1日閲覧。
  122. ^ wbs和歌山放送ニュース (2019年10月31日). “高野町が火災で被害を受けた首里城再建で義援金受付 https://wbs.co.jp/news/2019/10/31/139813.html …”. @DIGITALwbs. 2019年11月1日閲覧。
  123. ^ 首里城焼失、復興の力に 伊賀上野城に募金箱”. 中日新聞 CHUNICHI Web. 2019年11月2日閲覧。
  124. ^ 首里城再建ふるさと納税、すでに1400人 企業も動く:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル. 2019年11月2日閲覧。
  125. ^ 首里城再建、支援・募金先まとめ(11月2日正午現在) | 沖縄タイムス+プラス ニュース”. 沖縄タイムス+プラス. 2019年11月3日閲覧。
  126. ^ 「よりどころ焼失、残念」 秋篠宮ご夫妻が首里城視察”. ryukyushimpo.jp. 2019年12月17日閲覧。
  127. ^ 首里城寄付金が10億突破 県、那覇市、報道機関の総計”. ryukyushimpo.jp. 2019年11月28日閲覧。
  128. ^ 首里城再建の費用に 沖縄県議会議員が報酬減額へ”. ryukyushimpo.jp. 2019年11月28日閲覧。
  129. ^ 首里城再建に8億円 補正予算 沖縄関係全体で80億円”. ryukyushimpo.jp. 2019年12月17日閲覧。
  130. ^ 日本放送協会. “沖縄 那覇 首里城正殿は6年後までに再建へ”. NHKニュース. 2020年3月26日閲覧。
  131. ^ Executive Summary of the Report on the Damage Situation Resulting from the Fire at Shuri-jô Site” (英語). World Heritage Centre. 2020年4月28日閲覧。
  132. ^ 京都新聞2020年2月28日朝刊
  133. ^ 首里城正殿復元整備工事起工式(令和4年11月3日)/沖縄県”. www.pref.okinawa.jp. 2023年12月9日閲覧。
  134. ^ 金秀グループ 県に3年間で1億円寄付へ 首里城再建”. ryukyushimpo.jp. 2019年12月17日閲覧。
  135. ^ [支援の輪 首里城再建へ]沖縄電力グループ 県に2千万円 | 沖縄タイムス+プラス ニュース”. 沖縄タイムス+プラス. 2019年11月28日閲覧。
  136. ^ 首里城再建へ1000万円寄付 東恩納組「他企業の呼び水に」 | 沖縄タイムス+プラス ニュース”. 沖縄タイムス+プラス. 2019年11月4日閲覧。
  137. ^ 琉球銀行. “首里城火災復旧支援について|琉球銀行(りゅうぎん)”. www.ryugin.co.jp. 2019年11月9日閲覧。
  138. ^ 創価学会が1000万円寄付 「少しでも役立てて」”. ryukyushimpo.jp. 2019年11月28日閲覧。
  139. ^ 首里城再建へ JALグループが1億円寄付へ 応援旅行の収益から | 沖縄タイムス+プラス ニュース”. 沖縄タイムス+プラス. 2019年11月9日閲覧。
  140. ^ [支援の輪 首里城再建へ]JALグループ、県に1000万円贈る | 沖縄タイムス+プラス ニュース”. 沖縄タイムス+プラス. 2019年11月28日閲覧。
  141. ^ a b [支援の輪 首里城再建へ]サンエー、復旧資金1300万円を寄付 JAたじま103万円 | 沖縄タイムス+プラス ニュース”. 沖縄タイムス+プラス. 2019年11月28日閲覧。
  142. ^ [支援の輪 首里城再建へ]りゅうせきグループ8社、県に1千万円 | 沖縄タイムス+プラス ニュース”. 沖縄タイムス+プラス. 2019年11月28日閲覧。
  143. ^ 首里城再建へ1000万円寄付 東京のEY税理士法人「沖縄は第二の拠点、恩返ししたい」 | 沖縄タイムス+プラス ニュース”. 沖縄タイムス+プラス. 2019年12月17日閲覧。
  144. ^ KOBE三宮・ひと街創り協議会が210万円 首里城再建に2回目の寄付 | 沖縄タイムス+プラス ニュース”. 沖縄タイムス+プラス. 2019年11月28日閲覧。
  145. ^ 首里城再建を願い 睦会10社から 支援金500万円 | 沖縄タイムス+プラス ニュース”. 沖縄タイムス+プラス. 2019年11月28日閲覧。
  146. ^ 「沖縄で何かあれば真っ先に」 首里城再建へ寄付した西武・山川 球界の先陣切った思い | 沖縄タイムス+プラス ニュース”. 沖縄タイムス+プラス. 2019年12月17日閲覧。
  147. ^ 首里城再建へ経済界が寄付 沖縄懇話会、県に2千万円:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル. 2019年12月17日閲覧。
  148. ^ 首里城再建に寄付した企業・団体(11月19日)”. ryukyushimpo.jp. 2019年12月20日閲覧。
  149. ^ a b c 伊藤忠と丸紅、三井物産が首里城支援で寄付金:時事ドットコム”. 時事ドットコム. 2019年12月17日閲覧。
  150. ^ a b 【DeNA】首里城火災復旧・復興への支援へ350万円を寄付 募金活動も”. スポーツ報知 (2019年11月20日). 2019年11月28日閲覧。
  151. ^ [支援の輪 首里城再建へ]大匠アーキプロ、120万円託す | 沖縄タイムス+プラス ニュース”. 沖縄タイムス+プラス. 2019年11月28日閲覧。
  152. ^ [支援の輪 首里城再建へ]ジミー、寄付金計100万円”. 47NEWS. 2019年11月28日閲覧。
  153. ^ 「夫も天国で悲しんでいる」首里城再建へ 96歳女性が託した100万円 | 沖縄タイムス+プラス ニュース”. 沖縄タイムス+プラス. 2019年11月28日閲覧。
  154. ^ 神戸新聞NEXT|総合|自然災害以外では初 兵庫県が首里城火災で那覇市に見舞金” (Japanese). www.kobe-np.co.jp. 2019年11月28日閲覧。
  155. ^ [支援の輪 首里城再建へ]琉伸会は100万円 沖縄県農水部に寄付 | 沖縄タイムス+プラス ニュース”. 沖縄タイムス+プラス. 2019年11月28日閲覧。
  156. ^ [支援の輪 首里城再建へ]東洋企画印刷 100万円を託す | 沖縄タイムス+プラス ニュース”. 沖縄タイムス+プラス. 2019年11月28日閲覧。
  157. ^ [支援の輪 首里城再建へ]ルネッサンスリゾートオキナワ、100万円を託す | 沖縄タイムス+プラス ニュース”. 沖縄タイムス+プラス. 2019年11月28日閲覧。
  158. ^ [支援の輪 首里城再建へ]建築士事務所協、寄付100万円託す 「早期再建は県民の願い」 | 沖縄タイムス+プラス ニュース”. 沖縄タイムス+プラス. 2019年11月28日閲覧。
  159. ^ [支援の輪 首里城再建へ]物産企業連合、100万円を寄付 | 沖縄タイムス+プラス ニュース”. 沖縄タイムス+プラス. 2019年11月28日閲覧。
  160. ^ [支援の輪 首里城再建へ]沖食グループ、112万円を託す 構成5社と社員 | 沖縄タイムス+プラス ニュース”. 沖縄タイムス+プラス. 2019年11月28日閲覧。
  161. ^ [支援の輪 首里城再建へ]再建向け100万円 コザ信金が寄付 全国でも募金の動き | 沖縄タイムス+プラス ニュース”. 沖縄タイムス+プラス. 2019年11月28日閲覧。
  162. ^ 首里城の再建願い 太名嘉組が100万円 | 沖縄タイムス+プラス ニュース”. 沖縄タイムス+プラス. 2019年11月28日閲覧。
  163. ^ 京都新聞2020年5月5日朝刊p17
  164. ^ 日本放送協会. “首里城再建 寄付の気持ちにつけこむ詐欺に注意”. NHKニュース. 2019年11月9日閲覧。
  165. ^ INC, SANKEI DIGITAL (2019年11月8日). “首里城の保険料、一ケタ間違う 年間2940万円”. 産経ニュース. 2019年11月9日閲覧。
  166. ^ INC, SANKEI DIGITAL (2019年11月5日). “首里城の保険金最大70億円”. 産経ニュース. 2019年11月9日閲覧。
  167. ^ 立体空撮でみる「首里城」|NHKニュース”. NHK NEWS. 2019年11月9日閲覧。
  168. ^ 焼失前の首里城正殿がVRでよみがえる”. ryukyushimpo.jp. 2019年11月28日閲覧。
  169. ^ 左派市政の那覇市、旧統一教会から首里城再建の支援金受領も、沖縄メディアはスルー”. SAKISIRU(サキシル)| 先を知る、新しい大人のメディア. 2022年8月23日閲覧。

関連項目 編集

外部リンク 編集