泡雪崩(ほうなだれ)は、雪崩の一種。大規模な煙型乾雪表層雪崩を指す。ホウ雪崩とも表記する。

概要

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多雪地で気温が低く、多量の降雪を伴う吹雪の時かその直後の積雪が安定しないときに起きやすい。そのため、主に厳冬期の山間部で発生する。

通常の雪崩のような雪塊の落下とは違い、雪崩を構成する雪煙が最大で200km/h以上の速度で流下する。その衝撃力は数百キロパスカルに達し、大きな被害をもたらすと考えられている[注 1]。そのため、泡雪崩が発生すると、あまり雪が堆積しないにもかかわらず[注 2]、衝撃によって周囲のものがことごとく破壊されているか吹き飛ばされているという状況が発生する。この破壊力に関して「爆風が発生する」といわれることがあるが、実際は雪煙が空気と雪粒の混合体であるがゆえ生じる力による。

歴史

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泡雪崩は、新潟県富山県の豪雪地帯を中心に「ホウ」「ホウラ」「アワ」「アイ」等と呼ばれ恐れられてきた。鈴木牧之によって書かれた『北越雪譜』には、「ほふら」の表記でこの種の雪崩の記述がある。

記録に残っている被害では、1918年1月9日に新潟県南魚沼郡三俣村(現在の湯沢町)で発生した泡雪崩が集落を襲い、158人もの死者を出したものが最大である(三俣の大雪崩)。

このほか、雪深く気温が低い厳冬期の黒部峡谷は泡雪崩が発生しやすく、1938年12月27日に富山県下新川郡宇奈月町志合谷(現在の黒部市)で発生[1]した泡雪崩では、黒部川第三発電所建設に伴うトンネル工事の作業員が宿泊していた鉄筋コンクリート一部木造の宿舎で、木造であった3階および4階部分[注 3]が川の対岸600mまで吹き飛び84人の死者[注 4]を出している。なお、一連の黒部川での電源開発工事では、出し平ダムで34人、竹原谷で21人の泡雪崩による死者を出している。

富山県五箇山(現在の南砺市域)では、1829年1月17日[注 5]、細島にて8軒21人が、1940年1月28日、漆谷にて5軒8人が犠牲となっている[4]

近年では1986年1月26日に新潟県西頸城郡能生町(現在の糸魚川市)の柵口(ませぐち)地区で泡雪崩が発生し、死者13人、重軽傷者9人、家屋全壊16戸、同半壊3戸の被害[注 6]を出している。雪崩は最大速度180km/h、走行距離1,800m、デブリ量10 - 30万m3と推測されている(柵口雪崩災害)。

関連作品

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脚注

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注釈

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  1. ^ 建造物などを破壊するほどの力に相当するため。
  2. ^ 通常の雪崩では多量の雪が堆積する。
  3. ^ 1 - 2階は鉄筋コンクリート造、3 - 4階は木造合掌造りであった。現在は坑口付近に鉄筋部分の一部が現存し、富山大学などが雪崩の観測に使用している[2]。のちに類似の構造をもつ阿曽原宿舎も被災しており、現在は阿曽原温泉小屋の基礎部分として転用されている。
  4. ^ うち47人は遺体の確認ができなかった[3]
  5. ^ 表記は新暦旧暦では文政11年12月12日
  6. ^ 300m飛ばされた家屋もあったという。

出典

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  1. ^ 日電工事場に雪崩、三十六遺体発掘『東京日日新聞』(昭和13年12月28日)『昭和ニュース辞典第6巻 昭和12年-昭和13年』p224-225 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
  2. ^ 黒部渓谷志合谷のなだれ研究 I:志合谷のなだれ予備調査 清水弘、秋田谷英次、中川 正之、岡部俊夫 Low temperature science. Series A,Physical sciences 30: 103 - 114 1973-03-05
  3. ^ 行方不明の四十七人は絶望『大阪毎日新聞』(昭和13年12月29日)『昭和ニュース辞典第6巻 昭和12年-昭和13年』p225 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
  4. ^ (富山県)上平村役場『上平村史』上平村、1982年、175 - 177, 381頁。 

外部リンク

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