メインメニューを開く

浄住寺

浄住寺(じょうじゅうじ)は、京都市西京区にある黄檗宗の寺院。山号は葉室山。本尊は如意輪観音京都洛西観音霊場第三十番札所。

葉室山淨住寺
所在地 京都府京都市西京区山田開キ町9
山号 葉室山
宗旨 黄檗宗天台宗
寺格 勅願寺
本尊 如意輪観音菩薩
開山 叡尊
開基 葉室定嗣
中興 鉄牛道機
正式名 葉室山淨住寺 ← 常住寺
札所等 洛西観音霊場第三十番札所
公式HP 和の素敵―京都浄住寺が発信する素敵な和のメディア―
法人番号 9130005002367
テンプレートを表示

鉄牛禅師によって再興されて以来、黄檗宗では本山に次ぐ寺格を有していた。左右対称で回廊を擁する伽藍や、方丈庭園等、本山である萬福寺を意識した設計がなされた。よって、鉄牛禅師を祖とする長松派(萬福寺塔頭長松院)の筆頭寺院にあたる。

近年まで完全非公開だったが、2015年4月25日、精浄文化研究部主催の企画[1]以来、公開される機会が増加した。

浄住寺

目次

歴史編集

寺伝によれば、810年大同5年、弘仁元年)に嵯峨天皇勅願寺として創建されたといい、円仁(慈覚大師)を開山とする。当時は常住寺と号した。 1261年弘長元年)公卿葉室定嗣が中興し、浄住寺と改められた。中興開山は奈良西大寺叡尊葉室家菩提寺として栄えた。 1333年正慶2年)4月の六波羅探題軍と千種忠顕率いる後醍醐天皇軍の戦乱により全焼した。 1467年応仁元年)から1477年文明9年)の応仁の乱の兵火で荒廃し、1567年永禄10年)にも全焼した。 1687年貞享4年)葉室頼孝の開基、黄檗宗の僧鉄牛道機を中興開山として再興され、黄檗宗の寺院となった。 1689年元禄2年)葉室孝重による再興という説もある。 1697年元禄10年)に現在の本堂寿塔が再建された。 方丈伊達綱村による寄進で、幼少時の遺館。 明治時代には一時無住となり衰微したが復興された。 2006年平成18年)に1333年正慶2年)2月作成の浄住寺境内絵図が、 2007年平成19年)には1591年天正19年)8月2日付豊臣秀吉寺領安堵状ほか4点の中世文書が発見された。 2010年平成22年)開山鉄牛道機遺掲の石碑が境内に建立された。

浄住寺と茶編集

中世、栂尾等に並び、葉室の茶は評価が高かった。[2]宇治橋修繕と十三重石塔建立に伴う、宇治茶の振興をすすめた叡尊[3]の影響による。境内には今でも数多くの茶ノ木が生育している。浄住寺の檀那である葉室家主導のもと、寺院関係者による茶摘みが毎年5月上旬に行われ、瑞芳菴流煎茶道関係者によって度々振る舞われている。[4]

方丈襖絵には八田虎州筆『琴棋書画図』が飾られているが、その中には煎茶を喫する様子も描かれている。また、方丈を寄進した仙台藩主伊達綱村は、交友関係から煎茶を嗜んでいた[5]。そもそも、日本に煎茶の文化を持ち込んだのは黄檗禅であり、浄住寺と茶は深い関係にある。瑞芳菴流煎茶道の第三世・大田和博仙家元は、この浄住寺で修行していたこともあり、そのため毎月瑞芳菴流煎茶道の教室が開かれたり、呈茶を担ったりしている。[6]

拝観や公開等編集

通常は非公開。2015年4月25日の精浄文化研究部主催、住持による坐禅、瑞芳菴流による煎茶道、井口翔雲氏による京友禅の各体験と特別拝観を皮切りに、数々の特別公開や企画が催された。2015年秋に同研究部による限定拝観[7]、2017年秋には京都市観光協会[8]による特別公開があり、メディアに取り上げられる等、注目が集まっている。

文化財編集

市指定文化財編集

  • 本堂・位牌堂・開山堂(附:厨子)・寿塔(附:小塔)
  • 紙本著色密雲円悟像
  • 紙本著色費隠通容像
  • 紙本著色隠元隆琦像
  • 紙本著色木庵性瑫像
  • 紙本著色鉄牛道機像

脚注編集

[ヘルプ]
  1. ^ 精浄文化研究部「禅僧煎茶」”. 2018年5月15日(火)閲覧。
  2. ^ 『異制庭訓往来』
  3. ^ 深草元政上人『艸山集』
  4. ^ 昨日は浄住寺でお茶摘み”. 2018年5月9日(水)閲覧。
  5. ^ 『如幻三昧外集』『伊達治家記録』等
  6. ^ 浄住寺 瑞芳菴流の初煎会”. 2018年5月9日(水)閲覧。
  7. ^ KYOTOdesign「葉室山浄住寺【20名限定】ガイド付き特別拝観」”. 2018年5月15日(火)閲覧。
  8. ^ 京都観光Navi「平成29年度 秋の特別公開 浄住寺」”. 2018年5月15日(火)閲覧。

外部リンク編集