座標: 北緯33度43分21秒 東経136度00分15秒 / 北緯33.72237649794751度 東経136.0041332244873度 / 33.72237649794751; 136.0041332244873 熊野地駅(くまのじえき)は、かつて和歌山県新宮市新宮にあった日本国有鉄道(国鉄)紀勢本線貨物駅廃駅)である。

熊野地駅
くまのじ
Kumanoji
新宮 (1.5 km)
(2.4 km) *広角
所在地 和歌山県新宮市新宮
所属事業者 日本国有鉄道
所属路線 紀勢本線(貨物支線)
キロ程 1.5 km(新宮起点)
駅構造 地上駅
開業年月日 1913年大正2年)3月1日
廃止年月日 1982年昭和57年)11月15日
備考 貨物駅・廃駅
*1937年7月1日、広角駅廃止。
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概要 編集

かつて、熊野川(新宮川)流域の山林から伐り出した原木は、を組んで川に流し、筏師がこれを巧みに操って熊野川河口の新宮まで運んだ。したがって、奈良県吉野郡天川村以南で産出する原木が全て新宮の町に集まり、新宮は木材の町として繁栄した。明治時代に熊野川の河口近くの右岸(新宮市側)を掘り込んで、水面貯木場とした。水面を原木が埋め尽くし、貯木場の周囲には材木問屋の拠点や製材所が集まった。

当時、熊野川の河口は河口砂洲で閉塞されており、喫水の深い汽船が新宮に寄港できないため、原木・木材の搬出の支障となっていた。そこで、明治時代の木材業者たちは、新宮から天然の良港である勝浦まで原木・木材を鉄道輸送することを企図し、紆余曲折の末に新宮鉄道を設立した。新宮鉄道が貯木場の目の前に開設したのが熊野地駅であり、当初から原木・木材の積み出し駅であった。

勝浦方面からの新宮鉄道の線路は、新宮の町から東に遠く離れた熊野地駅を目指して北上し、熊野地駅附近で西に向きを変え、終点(起点)の新宮駅に至っていた。当時の新宮駅では、線路が東西方向に走っていた(現在の「新宮駅前」交差点から東に向かう道が線路の跡地である。)。

国は1934年に新宮鉄道を買収し、鉄道を新宮から北に延長する工事に着手した。当時の新宮駅から線路を伸ばすには、西に向かって線路を敷かざるを得ないが、西に向かうとすぐに新宮の昔ながらの市街地に突き当たる。鉄道延伸のためには、新宮駅は南北方向に作り直す必要があった。そこで、1938年、新宮駅は現在地に移転し、勝浦方面からの列車は、熊野地駅を経由せずに新・新宮駅に至る新線(現在の線路)を通るようになった。勝浦方面から熊野地駅を経由して旧・新宮駅に至る線路は廃止され、新・新宮駅から熊野地駅に至る貨物支線が新たに敷設された。こうして、熊野地駅は本線上の駅から、盲腸のような貨物支線の終点にある貨物駅となった。

第二次世界大戦後、新宮川水系に次々とダムが建設されると、だんだんと筏流しはできなくなり、1964年までにトラックに置き換わった。熊野川河口の水面貯木場は使命を喪失し、1967年に埋め立てられた(新宮市あけぼの)。水面貯木場の跡地の一部は陸上貯木場となって残った(新宮原木市場)。

1982年、国鉄の合理化の一環で、熊野地駅は廃止された。現・新宮駅から熊野地駅に至る支線の跡地は、道路に転用された。

熊野地駅から製紙工場まで引込線があった。この工場は、最後は王子製紙の熊野事業所となり、2000年に閉鎖された。跡地の一角は「王子製紙記念公園」となった。

歴史 編集

隣の駅 編集

日本国有鉄道
紀勢本線
新宮駅 - 熊野地駅( - 広角駅 - 三輪崎駅

脚注 編集

  1. ^ a b c d e f 曽根悟(監修) 著、朝日新聞出版分冊百科編集部 編『週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR』 25号 紀勢本線・参宮線・名松線、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2010年1月10日、9,18-21頁。 
  2. ^ a b c d e 石野哲(編集人)『停車場変遷大事典 国鉄・JR編II』JTB、1998年9月15日、382-383頁。