牧憲二郎

日本のプロ野球選手 (1947-)

牧 憲二郎(まき けんじろう、1947年7月8日 - )は、宮崎県出身の元プロ野球選手投手)。右投右打。

牧 憲二郎
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 宮崎県延岡市安賀多町
生年月日 (1947-07-08) 1947年7月8日(76歳)
身長
体重
177 cm
90 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1965年 ドラフト1位
初出場 1966年4月14日
最終出場 1973年5月5日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

来歴・人物 編集

高鍋高校ではエースとして活躍。1965年には甲子園に春夏連続出場を果たす。春の選抜では、1回戦で野崎恒男投手を擁する向陽高に敗退[1]。同年夏の選手権は、2回戦(初戦)で保原高岡正光、準々決勝で東邦高北角富士雄と投げ合うが、いずれも完封で降し勝ち上がる。準決勝では銚子商と対戦。銚子商のエース木樽正明から1点を先制するが、8回に追いつかれ9回裏サヨナラ負けを喫する[2]。同年の岐阜国体にも出場し準々決勝に進むが、岩崎忠義のいた津久見高に延長10回裏サヨナラ負け。

1965年ドラフト会議南海ホークスに1位指名で入団。ノーワインドアップからの本格派右腕として、シュート、カーブを武器に、新人ながらオープン戦で好投し注目を集める。1966年4月には東京オリオンズを相手に初先発を果たす。しかし勝星には恵まれず、翌年以降は登板の機会もなくなり、1969年限りで自由契約となる。

1970年阪急ブレーブスへ移籍。1972年には20試合に登板。9月からは先発陣の一角として起用され、2完投を含む3勝を記録してリーグ優勝に貢献した。同年の読売ジャイアンツとの日本シリーズでも3試合に登板、4回2/3を無失点に抑える。しかしその後はあまり活躍できず、1976年限りで引退した。引退後は打撃投手を経て、1980年に寮長となる[要出典]

詳細情報 編集

年度別投手成績 編集





















































W
H
I
P
1966 南海 3 1 0 0 0 0 2 -- -- .000 34 7.0 8 0 4 0 0 5 0 0 4 3 3.86 1.71
1972 阪急 20 7 2 0 0 3 3 -- -- .500 265 63.2 70 3 11 0 4 19 0 0 24 23 3.23 1.27
1973 1 0 0 0 0 0 0 -- -- ---- 6 1.0 2 0 1 0 0 0 0 0 1 1 9.00 3.00
通算:3年 24 8 2 0 0 3 5 -- -- .375 305 71.2 80 3 16 0 4 24 0 0 29 27 3.38 1.34

記録 編集

背番号 編集

  • 27(1966年 - 1969年)
  • 68(1970年 - 1972年)
  • 20(1973年)
  • 48(1974年 - 1976年)
  • 84(1977年 - 1979年)

脚注 編集

  1. ^ 「選抜高等学校野球大会60年史」毎日新聞社編 1989年
  2. ^ 「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年

関連項目 編集

外部リンク 編集