中村 直 (なかむら なお 4月11日 - 2014年1月17日)は、東京都世田谷区出身のハウス・ミュージックDJ音楽プロデューサーである。

中村 直
別名 NAO NAKAMURA / BAD ATTITUDE
生誕 4月11日(生年未記載)
出身地 日本の旗 日本東京都世田谷区
死没 2014年1月17日
ジャンル ハウス・ミュージック / ダンス・ミュージック全般
職業
活動期間 1981年 - 2014年

来歴

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東京都世田谷区出身。

1970年代後半より世界的に流行していたディスコ・ミュージックニューウェーブ等のダンス・ミュージック全盛期に洗礼を受け、高校在学中、知人にDJをやってみないかと声をかけられたことがDJになるきっかけとなった。

1981年東京都新宿の伝説的なディスコ『ツバキハウス』にて、DJ活動を開始する。[1]

その後、活躍の場を広げ、六本木などのディスコでも活動を展開。

1984年、DJ仲間の勧めにより、単身ニューヨークに渡り、最先端のクラブカルチャーシーンに触れ、大きな衝撃を受け、移住することを決意。

1985年、拠点をニューヨークに移すと、海外でも、その音楽的センスを認められることとなり、 ハウスミュージック生みの親であり、DJ/音楽プロデューサーのフランキー・ナックルズ | Frankie Knucklesらと交流を深めていく。

1986年、ニューヨークの伝説的ディスコ『THE SAINT』や『TRACKS』で、レジデントDJとして、海外のディスコおよびナイトクラブにおける日本人DJとして、初めて抜擢され、話題となる。

その後、約10年間、ニューヨークで活動を続けた。

1988年、『THE SAINT』の閉店に伴い、 港区芝浦のディスコ『GOLD』の創立メンバーとして企画に携わるために帰国。

以降、『Yellow』『Liquid Room』『Code』等、 東京のナイトクラブを中心に活躍し『CLUB LOVELY』『THE PRIVATE PARTY』『HITS』等の人気パーティーのプランナー、レジデントDJを勤め、国内のクラブカルチャーシーンを牽引し、伝説的DJと称されるようになった。

パーティーでは、原曲の持ち味を活かしつつ、幅広い選曲とオリジナリティに溢れ、ドラマティックに展開される、DJプレイスタイルに影響を受けた多くのファンやダンサー、仲間が集まり、メディアの取材や弟子を希望する者も多く訪れるようになった。

独自の音楽センスにより、ハウスミュージックおよびダンスミュージックを独創的に昇華させた、アッパーでハッピーな曲を集めたミックスで展開する、お姉ハウス(通称∶オネハ)等の音楽的世界観やDJミックススタイルを生み出したことでも有名であり、その後のクラブカルチャーシーンに多大な影響を与え、膨大な数の派生パーティーを生み出した。


リミキサーとしての活動...

BAD ATTITUDE名義でPUFFYEvery Little ThingHΛL、および エンジニアの池淵秀一(BEAT CIRCUS)とともに、 浜崎あゆみ等、多くのアーティストの楽曲のリミックスを手がけた。


また、ゲイであることをカミングアウトした、 オープンリー・ゲイとしても有名であり、 東京都港区芝浦のGOLDで開催され、レジデントDJを勤めた『PRIVATE PARTY』は、1000人以上のキャパシティのあるクラブとしては初の巨大ゲイパーティーとなったことで有名[要出典]

クレア」1991年2月号の「ゲイ・ルネッサンス’91」にもオープンリーゲイとして登場している。


2011年に、DJ活動30周年を迎えた。[2]


[3]2014年1月17日午前2時40分過ぎに心筋梗塞により死去[4]

脚注

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出典

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  1. ^ 中村直: Dance It's My Life!: Vol.1”. ジェットセット. 2014年8月18日閲覧。
  2. ^ NAO NAKAMURA “DJ 30th Anniversary Party””. クラブミュージック情報サイト HigherFrequency. 2013年5月5日閲覧。
  3. ^ 2014年1月20日gladxx「【訃報】DJの中村直さんが急逝」。
  4. ^ 伝説的DJの中村直さんが心筋梗塞により死去 とれたて!ニュース解析 2014年1月20日。

外部リンク

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