トマーシュ・フボチャン

スロバキアのサッカー選手

トマーシュ・フボチャンスロバキア語: Tomáš Hubočan1985年9月17日 -)は、スロバキアジリナ出身のサッカー選手。ポジションはDFカルミオティッサFC所属。

トマーシュ・フボチャン
ディナモ・モスクワ時代のフボチャン (2014年)
名前
ラテン文字 Tomáš Hubočan
基本情報
国籍 スロバキアの旗 スロバキア
生年月日 (1985-09-17) 1985年9月17日(38歳)
出身地 ジリナ
身長 184cm
体重 70kg
選手情報
在籍チーム キプロスの旗 カルミオティッサFC
ポジション DF (CB, LSB)
背番号 15
利き足 右足
ユース
スロバキアの旗 ジリナ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2004-2007 スロバキアの旗 ジリナ 38 (2)
2006 スロバキアの旗 ズラテー・モラフツェ (loan) 36 (1)
2008-2014 ロシアの旗 ゼニト 113 (0)
2014-2016 ロシアの旗 ディナモ・モスクワ 40 (2)
2016-2019 フランスの旗 マルセイユ 16 (0)
2017-2018 トルコの旗 トラブゾンスポル (loan) 20 (0)
2019-2022 キプロスの旗 オモニア・ニコシア 57 (0)
2022- キプロスの旗 カルミオティッサ
代表歴2
2006-2021 スロバキアの旗 スロバキア 73 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2022年5月30日現在。
2. 2021年12月15日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

経歴 編集

クラブ 編集

MŠKジリナのユースでサッカーを始める。2006年1月から6月まではズラテー・モラフツェにレンタル移籍をした。レンタル終了後にMŠKジリナに戻り2006-07シーズンにはレギュラーとして出場しリーグ優勝に貢献した。

2008年2月11日、ロシアFCゼニト・サンクトペテルブルクに移籍金380万ユーロの3年契約で移籍した[1]。ゼニトではイヴィツァ・クリジャナツニコラス・ロンバーツが負傷していたが、足がかりを得る事は出来なかった。2008年9月30日、UEFAチャンピオンズリーグレアル・マドリード戦(1-2)では前半の4分にオウンゴールで得点を許した。その年はリーグ戦で11試合の出場に出場し翌シーズンも11試合に出場した。

2009年12月、イタリア人のルチアーノ・スパレッティがゼニトの監督に就任。2010年、トレーニングキャンプで2得点を挙げ注視を引く。リーグ戦は左SBで出場。2010年9月30日、UEFAヨーロッパリーグAEKアテネFC戦でゼニト移籍後初となる得点を決めた。シーズン終了後に発表されたロシアリーグ最優秀選手33では左サイドバック部門で1位を獲得した。2011-12シーズンはセンターバックとして出場。リーグ終盤にはブルーノ・アルヴェスに代わってスタメンで出場した。

2016年7月8日、フランスオリンピック・マルセイユへ完全移籍[2]。8月14日のトゥールーズFC戦でCBとして出場しリーグ・アンデビューを果たした。しかしロランドドリアの両CBからポジションを奪えず左SBとして起用される機会が増加。シーズン後半戦にはパトリス・エヴラが加入したため1試合の出場に終わり、リザーブチームでも試合に出場した。

2017年9月7日、トルコトラブゾンスポルへレンタル移籍[3]

2019年9月4日、オモニア・ニコシアに1年契約で移籍[4]

代表 編集

2007年11月21日、サンマリノとの試合でスロバキア代表デビューを果たした。2010年以後はコンスタントに出場している。

タイトル 編集

クラブ 編集

MŠKジリナ
ゼニト・サンクトペテルブルク
オモニア・ニコシア

個人 編集

  • ロシアリーグ最優秀選手33 : No.1(2010 LSB), No.2 2012 RCB

脚注 編集

  1. ^ Hubočan zo Žiliny do Petrohradu za 120 miliónov! profutbal.sk 2012年7月7日閲覧。
  2. ^ 酒井宏樹と両翼形成へ…マルセイユ、スロヴァキア代表DFフボチャンを獲得 - サッカーキング 2016年7月9日
  3. ^ マルセイユのスロバキア代表DFフボチャンがトラブゾンシュポルへ移籍 - 超ワールドサッカー 2017年9月8日
  4. ^ OmonoiaFC (2019年9月4日). “Στην ΟΜΟΝΟΙΑ ο Tomas Hubocan!” (英語). Omonoia FC. 2022年9月28日閲覧。

外部リンク 編集