ブライアン・アダムス (プロレスラー)

ブライアン・アダムスBrian Adams1964年4月14日 - 2007年8月13日)は、アメリカ合衆国プロレスラーハワイ州カイルア・コナ出身。新日本プロレスの練習生を経て[1]WWEWCWで活躍した[2]

ブライアン・アダムス
プロフィール
リングネーム ブライアン・アダムス
クラッシュ
デモリッション・クラッシュ
ジ・アメリカン・ニンジャ
ザ・デーモン
コナ・クラッシュ
本名 ブライアン・アダムス
身長 198cm
体重 143kg
誕生日 1964年4月14日
死亡日 (2007-08-13) 2007年8月13日(43歳没)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ハワイ州の旗 ハワイ州カイルア・コナ
スポーツ歴 ボクシング
トレーナー 新日本プロレス道場
デビュー 1987年
引退 2003年
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来歴 編集

アメリカ空軍の隊員として日本の横田基地に配属されていた際、新日本プロレスの試合を見てプロレスラー転向を決意[1]。除隊後の1986年、かねてからの希望通りに練習生として新日本への入門を果たすが、ビザの関係で日本でのデビュー戦を行うことはできなかった。この練習生時代に武藤敬司主演の映画 『光る女』(相米慎二監督)に敵役で出演している。

帰国後、オレゴンおよびワシントン州NWA傘下団体Pacific Northwest Wrestling(PNW)にて1987年にデビュー[1]。日本でトレーニングを積んでいたことから、ジ・アメリカン・ニンジャなるニックネームが与えられる。新日本プロレスに参戦経験のあるザ・グラップラーとのタッグチーム "レッキング・クルー" で活動し、1989年12月14日にNWAパシフィック・ノースウエスト・タッグ王座を奪取[3]1990年4月21日にはシングルのNWAパシフィック・ノースウエスト・ヘビー級王座も獲得した[4]

この間、1988年覆面レスラーミッドナイト・ソルジャーとして新日本プロレスに逆上陸している[1]。素顔ではなかったものの、これが新日本の元練習生であったアダムスの実質的な日本デビューとなった。1989年には素顔のブライアン・アダムスとして全日本プロレスに参戦[1]。目立った活躍はなかったがTVマッチに出た際、解説のジャイアント馬場からは「この選手は基礎がしっかり出来ていますね」などと評価された。

WWF 編集

1990年6月、体調不良でセミリタイアすることになったデモリッションのチームリーダー、アックス(マスクド・スーパースター、ビリー・クラッシャー)の交代要員として、デモリッション3人目のメンバー、クラッシュを名乗りWWFに登場[2]。タイトルをアックスから譲り受け、スマッシュ(クラッシャー・クルスチェフ、リポマン)とのコンビでWWF世界タッグ王座にも戴冠している[5][6]。同年夏にリージョン・オブ・ドゥーム(LOD)がWWFに移籍してくると、アルティメット・ウォリアーも巻き込んで軍団抗争を展開した。1991年レッスルマニア7では、スマッシュと組んで天龍源一郎&北尾光司と対戦している[7]

デモリッション解散後の1991年下期には、WWF時代と同じリングネーム、コスチューム、キャラクターで古巣のPNWに転戦。10月12日にはリップ・オリバーを破り、NWAパシフィック・ノースウエスト・ヘビー級王座を再び獲得している[4]1992年5月からはベビーフェイスのシングルプレーヤーとしてWWFと再契約。ニックネームをコナ・クラッシュに、ハワイのサーファーをキャラクターとした爽やか路線で売り出した[2]。その後、ヒールに転向してランディ・サベージらと抗争を展開したものの、1995年3月、ステロイド剤の購入とスタンガンの不法所持で逮捕投獄され、それがもとでWWFを解雇される[6]

しかし1996年8月、弁護士を名乗るクラレンス・メイスン[8]マネージャーに「執行猶予処分」という設定のもと、実生活上のトラブルをギミックに取り入れた形でWWFに復帰[2][6]ストリートギャング風のキャラクターに変身し、ファルークが結成した黒人至上主義団体:ネーション・オブ・ドミネーション(NOD)(モデルはマルコムXの影響下にあったブラックパンサー党)に加入。白人でありながらファルークのボディーガードとして悪名を轟かせ、同時期にWWFと再契約したLODやアーメッド・ジョンソンらと抗争を繰り広げた[2]

ファルークと仲間割れした1997年には、ディサイプルズ・オブ・アポカリプス(DOA)というバイカー系のユニットを結成[9]。PNW時代の抗争相手でもあった8ボール&スカル(ブルーズ・ブラザーズ)、チェインズ(ブライアン・リー)をメンバーに、リーダーとして活躍した[2]

WCW - WWE 編集

WWF離脱後はWCWに移籍。リングネームを本名に戻し、nWoハリウッドのメンバーに加入[2]ハルク・ホーガンのパートナーになったこともある。1998年にはnWoジャパンのメンバーとして新日本プロレスに来日した[10]

その後はキッスとのコラボレーションで生まれたザ・デーモンへの一時的な変身を経て、2000年ブライアン・クラーククロニック(KroniK)を結成[11]WCW世界タッグ王座を2度獲得したが、ダーク・カーニバル(グレート・ムタ&バンピーロ)にタイトルを奪われてからは王座に返り咲くことはなかった[12]。以降はナチュラル・ボーン・スリラーズとの抗争などが組まれるも、負けブックが多くなっていた。途中クラークが負傷したためシングルで戦っていたが、自身も虫垂炎を患い、以後クロニックがWCWに登場することはなかった。

WCW崩壊後はWWEの契約選手には入れず、プロゴルファーへの転身も噂されたものの、2001年9月にスティーブン・リチャーズの用心棒としてクラークと共にWWEに復帰[2]ジ・アンダーテイカーのバイクを攻撃して喧嘩を売り、同月23日に行われたアンフォーギヴェンでアンダーテイカー&ケインのWCWタッグ王座に挑戦した。しかし、これが大凡戦となり、WWEからディベロップメント契約(下部団体での再調整)への条件変更を要請される[2]。クラークはその条件に不満を持ち退団。アダムスは下部組織のHAWで活動することになったが、すぐに解雇された[2]

日本での活動 - 引退 編集

解雇後の2002年7月、クロニックとして全日本プロレスに登場。同月17日に武藤敬司&太陽ケアから世界タッグ王座を奪取する[13]。以降も全日本プロレスにおいて、マイク・バートン&ジム・スティールや武藤&ビル・ゴールドバーグなどのチームと対戦したが[2]、アダムスのプロボクサー転向(結局は実現せず)のためにクロニックは解散することになった。

2003年1月、ファンタジーファイトWRESTLE-1にクロニックとして一夜限りの復活参戦。しかしこの試合も酷評され、その後アダムスは背中と肩の怪我のため引退することになった。引退後は、ラッパーとしても活動しているランディ・サベージボディーガードを務めた[6]

死去 編集

2007年8月13日、自宅のベッドで意識がなく倒れているところを妻が発見し、救急隊員が駆けつけるも死去していた。43歳没。

得意技 編集

クラニアム・クランチ / コナ・クラッシュ
相手の頭を両掌で掴んで押し潰すアイアンクロー。WWFのクラッシュ時代に使用。
ハイタイムダブル・チョークスラム
クロニック時代のクラークとの合体技。
フルネルソン・バスター
プレス・スラム
ハート・パンチ

獲得タイトル 編集

パシフィック・ノースウエスト・レスリング
ワールド・レスリング・フェデレーション
ワールド・チャンピオンシップ・レスリング
全日本プロレス

脚注 編集

  1. ^ a b c d e 『THE WRESTLER BEST 1000』P226(1996年、日本スポーツ出版社
  2. ^ a b c d e f g h i j k Brian Adams”. Online World of Wrestling. 2020年7月5日閲覧。
  3. ^ a b NWA Pacific Northwest Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2020年7月5日閲覧。
  4. ^ a b c NWA Pacific Northwest Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2020年7月5日閲覧。
  5. ^ a b WWWF/WWF/WWE World Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2020年7月5日閲覧。
  6. ^ a b c d "Crush" Brian Adams dead at 44”. SLAM! Wrestling. 2007年8月13日閲覧。
  7. ^ WWF WrestleMania VII”. Cagematch.net. 2020年7月5日閲覧。
  8. ^ Clarence Mason”. Online World of Wrestling. 2010年9月17日閲覧。
  9. ^ Disciples of Apocalypse”. Online World of Wrestling. 2020年6月23日閲覧。
  10. ^ The NJPW matches fought by Brian Adams in 1998”. Wrestlingdata.com. 2020年7月5日閲覧。
  11. ^ KroniK”. Online World of Wrestling. 2020年7月5日閲覧。
  12. ^ a b WCW World Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2020年7月5日閲覧。
  13. ^ a b 世界タッグ王座: 歴代王者”. 全日本プロレス. 2020年7月5日閲覧。

外部リンク 編集