大司馬英語: Lord High Constable of England)は、イギリス国務大官の7位にあたる官職で、式部卿の下、軍務伯の上にあたる。中世では軍政面で重要な役割を担う官職であったが、現在は戴冠式のときに限り任命される名誉職となっている[1]

イギリスの旗 イギリス
大司馬
Lord High Constable of England
大司馬トニー・ラダキン。2023年チャールズ3世及びカミラ王妃の戴冠式パレードにて。
種類国務大官
任命イギリス国王(チャールズ3世)
任期陛下の仰せのままに
創設1139年
初代初代ヘレフォード伯マイルス・ドゥ・グロースター
最後トニー・ラダキン

概要 編集

 
ナポレオンを打ち負かした初代ウェリントン公爵は三度にわたり戴冠式で大司馬に任命された。

国務大官Great Officers of State)としては9人中7番目に位置し[2]、その職域は兵権を司った。古くは軍政面に大きな権限を持ち、民兵軍の査閲、強制宿泊や部隊編成の実施権限、戦時中の軍事法廷の開廷権限などを有した[1]。13世紀に入ると司法官的な性格を強め、格下の国務大官(軍務伯)と共同して名誉や紋章の問題を取り扱った[1]。現在は常任ではなく戴冠式の時にだけ任命される名誉職に過ぎず、その戴冠式でも実務を取り仕切るのはもっぱら軍務伯である[1][3]

官職自体の歴史としては、イングランド王妃マティルダ(国王ヘンリー1世の王妃)が臣下のマイルズ・オブ・グロスター英語版ヘレフォード伯爵英語版の爵位とともに与えたのが始まりとされる[2]。その後、マイルズ・オブ・グロスターの子孫にあたるブーン家(Bohun Family)が約200年間にわたって世襲し続けた[1][2]。この後も男系が絶えるたびに女系継承を続け、バッキンガム公爵スタッフォード家(Stafford Family)が継承することになる。中世末期になると権限も次第に縮小されていき、第3代バッキンガム公爵エドワード・スタッフォード私権剥奪されると、国王ヘンリー8世は大司馬の官職を王権に統合した[1][2][3]

なお、隣国のスコットランドにも大司馬職英語版(Lord High Constable of Scotland)があり、国王の不在時や戦場での軍隊を指揮する権限を有したが、1707年のイングランドとの合同後はまったくの名誉職となった[1]。このスコットランド大司馬はスコットランド貴族エロル伯爵家が世襲し続けている[3]

イングランド大司馬(1139年-1521年) 編集

このタイミングで大司馬の官職は王権に統合されたため、戴冠式の時だけの儀礼官になった[2]

統合後 編集

脚注 編集

  1. ^ a b c d e f g 松村, 赳富田, 虎男『英米史辞典』研究社東京都千代田区、2000年、433頁。ISBN 978-4767430478 
  2. ^ a b c d e Chisholm, Hugh, ed. (1911). "Lord High Constable" . Encyclopædia Britannica (英語). Vol. 17 (11th ed.). Cambridge University Press. p. 3.
  3. ^ a b c スレイター, スティーヴン 著、朝治 啓三 訳『【図説】紋章学事典』(第1版)創元社、2019年9月30日、173頁。ISBN 978-4-422-21532-7 
  4. ^ Roles to be performed at the Coronation Service at Westminster Abbey”. The Royal Family (2023年4月27日). 2023年5月5日閲覧。

関連項目 編集