田中村 (千葉県)

日本の千葉県東葛飾郡にあった村

田中村(たなかむら)は千葉県の北西部、東葛飾郡に属していた

たなかむら
田中村
廃止日 1954年9月1日
廃止理由 新設合併
田中村柏町土村小金町東葛市
現在の自治体 柏市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 関東地方
都道府県 千葉県
東葛飾郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 26.0 km2.
総人口 8,191
(千葉県町村合併史、1954年9月1日)
隣接自治体 千葉県東葛飾郡柏町、福田村流山町富勢村
茨城県北相馬郡大野村高野村
田中村役場
所在地 千葉県東葛飾郡田中村大字大室
座標 北緯35度54分14秒 東経139度57分34秒 / 北緯35.90389度 東経139.95931度 / 35.90389; 139.95931 (田中村)座標: 北緯35度54分14秒 東経139度57分34秒 / 北緯35.90389度 東経139.95931度 / 35.90389; 139.95931 (田中村)
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地理 編集

歴史 編集

村名由来 編集

船戸に下総国舟戸藩(領主は本多氏)が置かれ、後に駿河国田中藩の飛び領地となったことから。

沿革 編集

この地方は、葛飾郡ののち東葛飾郡に属した。

  • 1873年(明治6年) - 大区小区制施行の際、第12大区8小区に編入される。
  • 1878年(明治11年) - 郡区町村編制法施行の際、以下の村連合を組成する。
    • 若柴村・十余二村・正蓮寺村連合
    • 花野井村・松ヶ崎村連合
    • 大室村・小青田村連合
    • 大青田村・下三ヶ尾村・西三ヶ尾村・上三ヶ尾村・二川塚村連合
    • 船戸村・三ッ堀村・瀬戸村連合
  • 1884年(明治17年) - 戸長役場所轄区域更定の際、以下の単位で同一の戸長役場の所轄に属した。
    • 若柴村、十余二村、正蓮寺村、花野井村、大室村、小青田村および高田村
    • 船戸村、瀬戸村、大青田村、下三ヶ尾村、西三ヶ尾村および上三ヶ尾村
    当地区は、戸長役場の所轄区域および学区が2区に分かれていた(船戸村は下三ヶ尾村外4村とともに1学区を成し、その他の村々で1学区を成していた)が、各村とも農業が主要の生業で生活状態が同じであり、合併には適当な状態だった。
    水利施設等は、用排水路において、大室村、花野井村および小青田村が南相馬郡布施村と、船戸村が東葛飾郡木野崎村と共同分水の関係をもっていたが、合併を妨げるものではなかった。
  • 1889年明治22年)4月1日 - 町村制施行により、田中村・十余二村組合が成立。
    若柴、花野井、大室、正蓮寺、小青田、船戸、大青田(利根運河北部を除く)、上三ヶ尾(利根運河南部)、下三ヶ尾(利根運河南部)、西三ヶ尾(利根運河南部)および青田新田飛地を合併して田中村が設置され、田中村と十余二村(十余二村は旧村のまま)との間に村組合が設置された。
    合併せず村組合としたのは、十余二村が新開墾地で、旧い伝統をもつ他の諸村と民情、風俗、生活状態等を異にしたため。
  • 1891年(明治24年)4月1日 - 田中村大字青田新田飛地を十余二村に編入。
  • 1914年大正3年)10月10日 - 組合を解消し、田中村が十余二村を編入。
  • 1923年(大正12年)4月1日 - 福田村と共に一部の字区域と名称を変更。
  • 1923年(大正12年)9月6日 - 田中村の自警団が隣接する福田村民と共に福田村事件を起こす。
  • 1938年昭和13年) - 柏飛行場開設。
  • 1939年(昭和14年)4月5日 - 柏陸軍病院開設。
  • 1949年(昭和24年)4月1日 - 田中村大字十余二のうち、旧陸軍柏飛行場区域を大字中十余二として分離する。

行政 編集

村長 編集

  • 鈴木利三郎 - 1914年就職認可[1]
  • 窪田甚蔵 - 1927年就任[2][3]
  • 松丸厳 - 1936年就任[4]
  • 田中朝吉 - 1947年就任[5]

交通 編集

著名な住民 編集

脚注 編集

参考文献 編集

  • 柏市史編さん委員会 編『柏市史年表』柏市役所、1980年8月31日。NDLJP:9642002 
  • 柏市史編さん委員会 編『柏市史』 近代編、柏市教育委員会、2000年3月31日。NDLJP:9644957 

関連項目 編集