福田村事件

福田村事件(ふくだむらじけん)は、1923年9月6日、関東大震災後の混乱の中で、香川県からの薬の行商団15名が千葉県の旧「福田村」で地元の自警団に暴行され、9名が殺害された事件。当時、被害者側の地元・香川県で何の取り組みもなく、被害者救済も行われなかった背景には、被害者全員が被差別部落出身者であったことが考えられる。[1]また、被害者らが香川県から遠く離れた千葉県まで行商に行かねばならなかった背景にも、部落差別があったという指摘がある。[2]

2000年7月に、野田市で「福田村事件を心に刻む会」が設立され、[3]2003年には犠牲者の追悼慰霊碑が野田市三ツ堀の円福寺境内に建立された。[4]

目次

発生日時・場所編集

関東大震災発生から5日後の1923年9月6日、千葉県東葛飾郡福田村(現在の野田市)三ツ堀の利根川沿い。

被害者編集

香川県三豊郡の薬売り行商人15名。うち犠牲者は妊婦や子供を含む9名(妊婦の胎児を含め、10名とする説もある)。

加害者編集

福田村および隣接する田中村(現柏市)の自警団。氏名は以下の通り[5]

  1. 増田米
  2. 鈴木岩五郎
  3. 岡田孝一
  4. 田中朝吉
  5. 木村熊治
  6. 横銭朝吉
  7. 増田吉太郎
  8. 阪巻右衛門

以上の8人が殺人罪に問われて懲役3年から10年の刑を受けたが、彼らの大半は、昭和天皇即位による恩赦で釈放された。

背景と事件後編集

事件の真相は今なお明らかではないが、「行商人一行の話す方言讃岐弁)が千葉県の人には聞き慣れずほとんど理解できなかった」「千葉県の人との意思疎通の際に話す標準語も発音に訛りがあり流暢でなかった」などを理由に朝鮮人と見なされ、一連の事件が起こったと言われている。

部落解放同盟などは事件後、加害者たちが極めて軽い処分を受け、その後永年真相解明がなされなかったのには部落差別が反映されているとみている。これは、住民を殺された側である香川県や、被害者の地元自治体が、事件をなかったことのように扱って来たことへの不信があった。[6]

関連作品編集

2014年、フォーク歌手の中川五郎は、この事件をテーマに24分の大作「1923年福田村の虐殺」をつくった。寮美千子姜信子・中川五郎・末森英機の座談会集『言葉の胎児たちに向けて ―同調から共感へ』(アドリブ刊、2014)の付録CDに収録し、2017年にはライヴアルバム『どうぞ裸になって下さい』に収録した。(「週刊金曜日」2017年3月10日号に、この曲に言及したインタビュー記事がある。)

脚注編集

[ヘルプ]
  1. ^ 福田村事件”. 四国新聞社. 2017年3月18日閲覧。
  2. ^ 「福田村事件」とは”. 東京人権啓発企業連絡会. 2017年3月18日閲覧。
  3. ^ 福田村事件”. 四国新聞社. 2017年3月18日閲覧。
  4. ^ 福田村事件80年で追悼集会ひらく 追悼慰霊碑除幕式も”. 解放新聞. 2017年3月18日閲覧。
  5. ^ 『東京日日新聞』房総版1923年10月30日の記事「行商人殺も有罪」
  6. ^ 福田村事件”. 香川人権研究所. 2017年3月18日閲覧。

参考文献編集

  • 『かがわ人権百科 ―福田村事件からユニバーサルデザインまで』(香川人権研究所、2010年12月)
  • 辻野弥生『福田村事件 ―関東大震災・知られざる悲劇』(崙書房、2013年8月)

関連項目編集

外部リンク編集