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番禺区(ばんぐうく)は中国広東省広州市に位置する市轄区

中華人民共和国 広東省 番禺区
余蔭山房
余蔭山房
余蔭山房
略称:番、潘、翻


番禺区の位置
番禺区の位置
番禺区の位置
中心座標 北緯22度56分17秒 東経113度21分55秒 / 北緯22.93806度 東経113.36528度 / 22.93806; 113.36528
簡体字 番禺
繁体字 番禺
拼音 Pānyú
カタカナ転写 パンユイ(普通話)
プンユイ(広東語)
粤拼 pun1 jyu4
国家 中華人民共和国の旗 中華人民共和国
広東
副省級市 広州市
行政級別 市轄区
区委書記 何汝誠[1]
区長 陳徳俊[1]
面積
総面積 530[2] km²
人口
総人口(2018) 177.70[3] 万人
人口密度 0.34万[4] 人/km²
戸籍人口(2018) 98.94[3] 万人
経済
GDP(2018) 2,078.96億[3]
一人あたりGDP 11.89万[3]
電話番号 020
郵便番号 511400
ナンバープレート 粤A
行政区画代碼 440113
公式ウェブサイト http://www.panyu.gov.cn/

地理

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番禺区は広東省中南部、珠江デルタ(広州市中心部・香港マカオを結ぶ三角形)の中心に位置する。

東は獅子洋に面し、南部は珠江による沖積平野が広がり沙田区と俗称され、西は仏山市南海区、同順徳区及び中山市と、北部は広州市海珠区、南は同南沙区と接している。

歴史

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番禺の名は、区内に位置する番山と禺山にちなみ、任囂城の俗称を“番禺城”と称したことによる。

紀元前214年秦朝南海郡を設置した際に、その下に番禺県が設置され郡治の所在地とされた。漢初には南越国がこの地に建国されたが、南越国滅亡後は民国前期まで番禺の地名が沿襲された。

前近代における番禺は広州一帯、あるいは現在の広州市中心部に対する呼称であり、現在の番禺とは範囲を異にする。1921年に広州市政庁が設置され、広州市が正式に発足する。番禺県府は広州市内にとどまった。1933年に県府が現在の番禺区内の新造に移る。1958年1月に禺東、禺北地区が広州市に編入され、同年12月には番禺と順徳県が合併し番順県が誕生したが、半年後には番禺県が再度設置され、中山県の大崗・南沙・黄閣などの地域が新たに番禺県に入った。1992年県級市番禺市となり、2000年に広州市に編入され番禺区となった。2005年には南沙区が分立した。

行政区画

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10街道、6鎮を管轄する。

  • 街道
    • 市橋街道沙頭街道、東環街道、橋南街道、小谷囲街道、大石街道、洛浦街道、石壁街道、鍾村街道、大竜街道
    • 南村鎮、新造鎮、化竜鎮、石楼鎮、石碁鎮、沙湾鎮

経済

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農業では甘蔗落花生などの栽培が盛んである。工業面では自動車関連、製靴・アパレル関連の工場が多く存在する。

交通

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教育

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脚注

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  1. ^ a b 区领导班子番禺区人民政府
  2. ^ 番禺概况” (中国語). 番禺区人民政府. 2019年5月22日閲覧。
  3. ^ a b c d 二〇一八年广州市番禺区国民经济和社会发展统计公报” (中国語). 番禺区统计局. 2019年11月12日閲覧。
  4. ^ 2018年越秀区国民经济和社会发展统计公报” (中国語). 越秀区统计局. 2019年7月8日閲覧。

外部リンク

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