福島大賞典
福島大賞典(ふくしまだいしょうてん)とは、日本中央競馬会が福島競馬場の芝1800メートルで施行していた平地の重賞競走である。正賞は福島県知事賞、福島商工会議所会頭賞(いずれも1977年時点)[1]。
1967年から年1回施行されたが、1978年に新潟競馬場で代替競走を施行したのを最後に廃止され[2]、翌1979年に新設された新潟大賞典に競走機能を引き継いだ。
廃止時の1着賞金は当時の金額で1700万円だった。
歴史
編集- 1967年 - 福島競馬場の芝2000mにて、4歳(現表記3歳)以上のハンデキャップの重賞競走、福島大賞典として創設。
- 1969年
- 負担重量を別定に変更。
- 施行距離を芝1800mに変更。
- 1972年 - 負担重量をハンデキャップに戻す。
- 1973年
- 1974年 - 出走資格を4歳(現3歳)以上に変更。
- 1975年 - 出走資格を5歳(現4歳)以上に変更。
- 1978年 - 福島競馬場の馬場改修工事により[2]、名称を「新潟ステークス(第12回福島大賞典)」に変更[3][4]のうえ、新潟競馬場の芝1800mで施行[3]。
- 1979年 - 第12回競走を最後に廃止、新潟大賞典に競走機能を引き継ぐ。
歴代優勝馬
編集馬齢は2001年以降の表記に統一する。
回数 | 施行日 | 優勝馬 | 性齢 | 斤量 | タイム | 優勝騎手 | 管理調教師 | 馬主 |
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第1回 | 1967年11月12日 | スズハヤテ | 牡3 | 55 | 2:09.9 | 池之上豊 | 佐藤正二 | ワイ・エス・エス |
第2回 | 1968年 7月14日 | ダーリングヒメ | 牝4 | 52 | 2:05.2 | 古山良司 | 山岡寿恵次 | 諏訪忠兵衛 |
第3回 | 1969年10月26日 | マツセダン | 牡3 | 55 | 1:52.0 | 星野信幸 | 橋本輝雄 | 松岡冨治 |
第4回 | 1970年 7月19日 | アイズキノー | 牡4 | 56 | 1:51.2 | 那須孝一 | 本郷重彦 | 堀川三之助 |
第5回 | 1971年10月24日 | ジョセツ | 牝4 | 55 | 1:49.9 | 岡部幸雄 | 鈴木清 | 中村勝五郎 |
第6回 | 1972年11月19日 | タクマオー | 牡4 | 55 | 1:50.4 | 蛯沢誠治 | 成宮明光 | 中村雄二 |
第7回 | 1973年 5月13日 | タクマオー | 牡5 | 59 | 1:49.5 | 蛯沢誠治 | 成宮明光 | 中村雄二 |
第8回 | 1974年10月27日 | ラウンドフアーザー | 牡3 | 51 | 1:49.3 | 吉沢宗一 | 稲葉幸夫 | (株)ジャパンホースクラブ |
第9回 | 1975年 5月11日 | ホリマロニエ | 牡4 | 54 | 1:50.4 | 谷原義明 | 本郷重彦 | 堀川三之助 |
第10回 | 1976年 5月16日 | カネオオエ | 牡5 | 57 | 1:48.6 | 増沢末夫 | 成宮明光 | 金指利明 |
第11回 | 1977年 5月15日 | メイジガルボ | 牝4 | 50 | 1:53.6 | 小迫次男 | 本郷一彦 | (資)明治牧場 |
第12回 | 1978年 5月21日 | ニシキエース | 牡7 | 59 | 1:49.0 | 森安重勝 | 森安弘昭 | 小林清 |
脚注・出典
編集出典
編集- ^ 伊藤朗「第11回福島大賞典」『優駿』、日本中央競馬会、1977年7月、99-100頁。
- ^ a b “今週の注目レース - 新潟大賞典 歴史”. 日本中央競馬会 (2012年). 2012年9月12日閲覧。
- ^ a b 大塚浩「新潟S(第12回福島大賞典)」『優駿』、日本中央競馬会、1978年7月、59-60頁。
- ^ “特別レース名解説 1回 新潟競馬”. 日本中央競馬会 (2012年). 2012年9月12日閲覧。
各回競走結果の出典
編集- 「福島大賞典」『中央競馬全重賞競走成績集 【障害・廃止競走編】』日本中央競馬会、2006年、325-342頁。