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(でい)は、東洋史学者岡田英弘によって河内王朝の開祖に比定された倭国大王

命名の根拠編集

岡田は倭王(でい)について、『宋書』にいう倭王の三兄弟の父、『日本書紀』にいう履中天皇反正天皇允恭天皇の三兄弟の父仁徳天皇に比定する。また、済の二子を日本書紀にいう安康天皇雄略天皇の兄弟に比定している。

禰(仁徳天皇)┬賛(履中天皇
       ├珍(反正天皇
       └済(允恭天皇)┬興(安康天皇
               └武(雄略天皇

の名は、『宋書』に収録されている、倭王[1]が487年に中国南朝に送った表における下記の一節による[2]

昔より祖禰は、躬(み)に甲冑を貫(まとい)て、山川を跋渉し、寧(やすらか)に處(お)るに遑(いとま)あらず。東は毛人の五十五国を征し、西は衆夷の六十六国を服し、渡りて海北の九十五国を平ぐ。

岡田は「祖禰」について、

「ここの「祖禰」は「祖父である禰」の意味で、「禰」は雄略天皇の祖父にあたる仁徳天皇の名前である[3]
倭王・武が四八七年に中国の宋朝あての手紙で「祖禰」すなわち祖父なる「禰」の世代以来、海内・海外の征戦に従事してきた、と言っていることで、すくなくとも賛・珍・済の前にもう一代の倭王がなければならない。[4]

と解釈し、「禰(でい)」を、倭の五王に先立つ「最初の倭国の王」、「河内王朝の開祖」のだとみなしている。

注釈編集

  1. ^ ワカタケル大王。『日本書紀』にいう雄略天皇
  2. ^ 岡田,2008,pp.225,257
  3. ^ 岡田,2008,p.225、「中国の古典の用例では、「禰」は父の霊をまつる廟を指すので、これまでの学説では、「祖禰」は「祖先以来」を意味するものと漠然と解釈されてきたが、それは間違いである。明確の仁徳天皇の事績を伝えようとしているのだ」
  4. ^ 岡田,2008,p.257

参考文献編集

  • 岡田英弘『倭国』中央公論社,1977
  • 岡田英弘『日本史の誕生』筑摩書房,2008

関連項目編集