秋月種輔

日本の江戸時代中期の武士。江戸幕府旗本秋月種封四男で、旗本秋月氏3代当主。本所深川出火之節(火事場)見廻役を勤める

秋月 種輔(あきづき たねすけ)は、江戸時代中期の旗本寄合席。通称は式部。高鍋藩秋月家分家の旗本寄合席木脇領主秋月家3代当主。石高日向国諸県郡宮崎郡内3,000石。旗本寄合席秋月家で初めて本所深川火事場見廻役を勤めた人物である。

 
秋月種輔
時代 江戸時代中期
生誕 元禄10年(1697年[1]
死没 享保15年7月3日1730年8月16日
改名 三之丞、種輔
別名 式部(通称)
戒名 宗済
墓所 下谷広徳寺の梅雲院
幕府 江戸幕府 旗本
主君 徳川家宣家継吉宗
氏族 秋月氏
父母 秋月種封織田長頼
秋月種羽
兄弟 民部、種羽牧野忠列種輔
松浦棟養女、真田信清室、松浦信秀
中村道重
松浦信福
千之助、種蔭稲葉正邑室、
坂本成亮婚約者、種全
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生涯

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秋月種封の四男として誕生。母は織田長頼の娘。幼名は三之丞。

長兄民部の早世や三兄忠列の他家への養子入り、宝永6年(1709年)に父とその家督を継いだ次兄の種羽が相次いで死去したことにより、同年に種羽の家督を相続し、徳川家宣に初御目見を済ませる。

享保11年(1726年)に本所深川火事場見廻役(本所深川出火之節見廻役)に就任する。種輔以降の旗本寄合席秋月家の歴代当主も本所深川火事場見廻役に任じられている者が少なくない。

享保15年(1730年)死去。享年34。法名は宗済。墓所は代々の葬地である下谷広徳寺の梅雲院。

系譜

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脚注

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  1. ^ 寛政重修諸家譜に記載される享年からの逆算

参考文献

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  • 『新訂寛政重修諸家譜 第18』(続群書類従完成会、編集顧問、高柳光寿、岡山泰四、斎木一馬)
    • 寛政重修諸家譜 巻第千百八十八