秋田盛季
陸奥三春藩2代藩主。秋田家4代。秋田俊季の長男。従五位下、安房守
秋田 盛季(あきた もりすえ)は、陸奥三春藩の第2代藩主。秋田家第4代当主。秋田俊季の長男。慶安2年(1649年)、父の死により家督を相続した。遺領のうち、5,000石を弟の季久に分知した。
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時代 | 江戸時代前期 |
生誕 | 元和6年(1620年) |
死没 | 延宝4年1月13日(1676年2月26日) |
改名 | 久松(幼名)→盛季 |
別名 | 左近(通称) |
戒名 | 陽雲院殿竜天蒼松大居士 |
墓所 | 福島県田村郡三春町荒町の高乾院 |
官位 | 従五位下、安房守 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 陸奥三春藩主 |
氏族 | 秋田氏 |
父母 | 父:秋田俊季、母:永寿院(松平信吉の娘) |
兄弟 | 盛季、季久、新庄直長正室、植村忠朝正室 |
妻 | 正室:正寿院(安藤重長の娘) |
子 | 輝季、娘(伊東祐実正室) |
逸話編集
病身で引っ込み思案の性格だったため、個人に関する逸話はほとんど伝わっていない。『秋之夜之夢噺』(個人蔵)に次のような逸話が収められている[1]。
明暦3年(1657年)の大火の時、江戸にいた盛季は、すぐさま家来の秋田伝内を江戸城へ派遣した。その時、白川城主松平越中守(この年の白河藩主は本多能登守忠義なので史実としては誤り)は江戸城にいたが、盛季の家来が登城したことを聞き、「自分の屋敷より12里も遠いところに屋敷のある盛季に先を越されて悔しい」と立腹した。
それから数年後、盛季が大坂加番で上京する途中、伊勢国桑名に一泊した。この時の桑名藩主は、白河から桑名へ転封していた松平越中守その人であった。そして、その時、たまたま桑名で火事が起こり、越中守は、桑名城の櫓に登り、盛季やその家来達がうろたえるところを見てやろうと試みた。しかし、盛季の行列は少しも乱れず、煙の中を静々と通り、安全な場所で行列を止め、盛季は足軽二組を桑名城へ向かわせ、越中守に対し、「城下が火事です、風も激しく、お城が危うく見えますので家来を差し向けました」と伝えた。
越中守は、盛季は酒ばかり飲み、鷹狩りや能が好きなどうしようもない奴と思っていたが、秋田家は古い家なので、良い家来をもっていてうらやましいと語ったという。
系譜編集
父母
正室
- 正寿院 ー 安藤重長の娘
子女
脚注編集
- ^ “秋田盛季と火事|Web資料館|三春町歴史民俗資料館 - 三春町ホームページ”. www.town.miharu.fukushima.jp. 2020年2月27日閲覧。