筑後吉井(ちくごよしい)は福岡県うきは市にある伝統的建造物群保存地区。白壁蔵造りの街並みで知られる。1996年に「吉井町筑後吉井伝統的建造物群保存地区」の名称で国の重要伝統的建造物群保存地区として選定された(保存地区名は2005年に「うきは市筑後吉井伝統的建造物群保存地区」に改称)。

白壁通り
国道210号沿いの町並み

歴史編集

江戸時代久留米城城下町と、天領である日田を結ぶ旧豊後街道沿いの宿場町として発展を始めた。 1664年寛文4年)に大石水道と長野水道が開削され、吉井の周辺は一大穀倉地帯となる[1]。その後も行われた水利事業によって吉井にも南新川、災除川、美津留川といった用水が引き込まれ、筑後川中流への水運を得たことで商品作物の集散地となった[1]

江戸時代末期からは次第に等の商品作物を加工する産業が集積されて、在郷町として繁栄した。また、金融活動にも積極的に乗り出し「吉井銀(よしいがね)」とも称された[1]

莫大な富を得た吉井の商人たちは明治2年の大火を契機にその資力を誇示するがごとく「居蔵屋」と称される贅をつくした蔵造りの商家を建て、最盛期の大正時代には新町や蛭子町にこの「居蔵屋」が立ち並ぶようになった。 昭和初期の戦時体制と終戦後の農地改革等によって、経済活動は減衰し地域経済の拠点性は低下した。産業構造・産業基盤の変化により居蔵屋など大邸宅の町屋は減少していった。

1984年頃より、官民一体となって在郷町に現存する町屋の保存と修景が開始された。 1996年に重要伝統的建造物群保存地区として選定され、現在に至る。

鏡田屋敷と伝統建築編集

鏡田屋敷は1863年文久3年)に建造された、筑後吉井に江戸時代から現存する唯一の建物である[1]。1893年(明治26年)に郡の官舎として一部が改装され、今日に至っている。典型的な屋敷型の居蔵屋であり、敷地沿って巡らされた水路から敷地内に用水が引き込まれ、庭を確保するために建物は東西に短冊状に建てられている。玄関から建物まで直線的にアプローチできないことも居蔵屋の特徴のひとつだが、鏡田屋敷は井戸や洗い場が玄関脇にある点がユニークである[1]

吉井の伝統建築の様式は、1階に切妻面を、2階にを設けるところである[1]。正面のファサードは、なまこ壁漆喰などの防火対策で固めたもの、漆喰部分を減らし開口部に格子をはめた開放的なもの、2階の柱に漆喰を塗らない真壁造りのものの3つのパターンがある。

施設編集

イベント編集

  • 筑後吉井の小さな美術館めぐり
  • 筑後吉井おひなさまめぐり

重要伝統的建造物群保存地区データ編集

  • 名称 - うきは市筑後吉井伝統的建造物群保存地区
  • 所在地 - 福岡県うきは市吉井町、吉井町若宮
  • 種別 - 在郷町
  • 選定年月日 - 平成8年12月10日
  • 面積 - 20.7ha

近隣編集

交通編集

脚注編集

  1. ^ a b c d e f 岡本哲志『地形で読み解く都市デザイン』 学芸出版社 2019年 ISBN 978-4-7615-2715-0 pp.77-90.

関連項目編集

座標: 北緯33度20分34.82秒 東経130度45分18.57秒 / 北緯33.3430056度 東経130.7551583度 / 33.3430056; 130.7551583