紀元前613年(きげんぜん613ねん)は、西暦ローマ暦)による年。紀元前1世紀共和政ローマ末期以降の古代ローマにおいては、ローマ建国紀元141年として知られていた。紀年法として西暦(キリスト紀元)がヨーロッパで広く普及した中世時代初期以降、この年は紀元前613年と表記されるのが一般的となった。

世紀 前8世紀 - 前7世紀 - 前6世紀
十年紀 前630年代 前620年代
前610年代
前600年代 前590年代
前616年 前615年 前614年
紀元前613年
前612年 前611年 前610年

他の紀年法 編集

できごと 編集

中国 編集

  • 軍がの南郊に侵攻した。魯の叔彭生が軍を率いて邾に侵攻した。
  • 趙盾・魯の文公昭公霊公成公穆公・許の昭公文公が新城で同盟を結んだ。
  • 昭公が死去して斉君舎が即位したが、公子商人(懿公)が斉君舎を殺して自ら即位した。
  • 晋の趙盾が周公閲王孫蘇の争いを調停した。
  • の成嘉(子孔)と潘崇が舒蓼に侵攻した。都のの留守をつとめていた公子燮と鬬克(子儀)が反乱を起こしたが敗死した。
  • 宋の高哀が魯に亡命した。
  • 単伯が魯の意を受けて、子叔姫の身柄を引き渡すよう斉に求めたが、斉は単伯を捕らえ、子叔姫をも捕らえた。

誕生 編集

死去 編集

脚注 編集