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義仲寺(ぎちゅうじ)は、滋賀県大津市馬場1丁目にある単立天台宗系)の寺院。山号は朝日山。本尊聖観音菩薩。境内全域が1967年昭和42年)に国の史跡に指定されている。

義仲寺
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義仲寺
所在地 滋賀県大津市馬場1-5-12
位置 北緯35度0分10.5秒 東経135度52分48.7秒 / 北緯35.002917度 東経135.880194度 / 35.002917; 135.880194座標: 北緯35度0分10.5秒 東経135度52分48.7秒 / 北緯35.002917度 東経135.880194度 / 35.002917; 135.880194
山号 朝日山
宗旨 天台宗
本尊 聖観音菩薩
開山 巴御前
中興年 天文22年(1553年)頃
中興 六角義賢
正式名 朝日山義仲寺
地図
義仲寺の位置(滋賀県内)
義仲寺
法人番号 7160005000980
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目次

歴史編集

 
義仲公墓
 
松尾芭蕉の墓
 
巴御前のと伝わる

この寺の創建については不詳であるが、源義仲(木曾義仲)の死後、愛妾であった巴御前が義仲の墓所近くに草庵を結び、「われは名も無き女性」と称し、日々供養したことにはじまると伝えられる。寺は別名、巴寺、無名庵、木曽塚、木曽寺、また義仲寺と呼ばれたという記述が、すでに鎌倉時代後期の文書にみられるという。戦国時代に荒廃したが、天文22年(1553年)頃、近江守護六角義賢によって再興された。当初は石山寺の配下であったが、江戸時代には園城寺に属した。

俳人松尾芭蕉はこの寺と湖南のひとびとを愛し、たびたび滞在した。無名庵で句会も盛んに行われた。大坂で亡くなった芭蕉だが、「骸(から)は木曽塚に送るべし」との遺志により元禄7年(1694年)10月、義仲墓の横に葬られた。又玄(ゆうげん)の句「木曽殿と背中合わせの寒さかな」が有名。その後、再び荒廃した同寺だが、京都の俳僧蝶夢法師が数十年の歳月をかけて明和6年(1769年)に中興する。寛政5年(1793年)には盛大に芭蕉百回忌を主催した。

昭和期、太平洋戦争後に再び荒廃壊滅の危機に瀕するが、一個人の篤志家による寄進によって1965年(昭和40年)、円満院から境内地の買い取り、ついで独立・再興し、単立の寺院となった。その後の境内の整備費もその篤志家の寄進による。再建に尽力したフィクサー三浦義一文芸評論家保田與重郎の墓所もある。

文化財編集

  • 史跡(国指定)
    • 義仲寺境内 本堂である朝日堂、芭蕉翁を祀る翁堂、翁の宿舎無名庵、粟津文庫、木曽八幡社、巴地蔵堂など
  • 衣冠束帯姿で矢を持つ義仲の木像が安置されている。
  • 伊藤若冲の描いた天井画15枚12種類が翁堂にある。形式から見て、現在信行寺にある花卉図天井画と一具だったと考えられる。両者は元々石峰寺観音堂の天井画であったが、幕末に破却され、花卉図は寺外に流出した。翁堂天井裏にある墨書によって、安政6年(1859年)6月、大津栄屋町の魚屋通六によって寄進された[1]。現在は、デジタル技術によって忠実に複製され[2]、一般公開されている。

所在地編集

  • 滋賀県大津市馬場1-5-12

その他編集

  • 月曜日は休館日(史料館)

脚注編集

  1. ^ 辻惟雄監修 『若冲の花』 朝日新聞社、2016年9月30日、pp.62-63、ISBN 978-4-02-251416-5
  2. ^ 伝匠美 - 義仲寺翁堂 天井画15面

関連項目編集

参考文献編集

  • 義仲寺由緒書

外部リンク編集