船崎恵視
船崎 恵視(ふなさき めぐみ、1977年8月14日 - )は、日本の女子バレーボール元選手、現指導者。ニックネームはラン。
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基本情報 | ||||
国籍 |
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生年月日 | 1977年8月14日(45歳) | |||
出身地 | 宮崎県宮崎市 | |||
ラテン文字 | Megumi Funasaki | |||
身長 | 164cm | |||
体重 | 53kg | |||
血液型 | O型 | |||
選手情報 | ||||
愛称 | ラン | |||
ポジション | S | |||
指高 | 209cm | |||
利き手 | 右 | |||
スパイク | 283cm | |||
ブロック | 273cm |
来歴編集
宮崎県宮崎市出身。友人に誘われて小学5年よりバレーボールを始める。走ることが大好きだったので、中学では陸上部を選択したが、バレーボールへの思いが強くなり、少しでも役立つとの思いからハイジャンプの練習に集中した。高校は県内バレー強豪校の宮崎日大高校へ進学する。セッターとして出場した1年生大会で優勝し、3年次にも宮崎代表となった。
香蘭女子短期大学卒業後、V1リーグの武田薬品に入部したが、3年後に廃部。JTマーヴェラスを経て茂原アルカスに入部するも後に廃部となり、2006年、Vプレミアリーグに昇格したばかりのトヨタ車体クインシーズに入部した。
安定したトス回しと効果率Vリーグ歴代3位のサーブが持ち味で、チームの成績向上に貢献。2008年12月の平成20年度天皇杯・皇后杯全日本バレーボール選手権大会では優勝に大きく貢献した。
2011年6月、トヨタ車体を退団し、同年11月にPFUブルーキャッツに移籍した[1]。
2013年5月、PFUを退団[2]。2014年から白鷗大学バレーボール部の監督を務める。2017年8月、株式会社大丸プランニング[3]に入社。PSGAピラティスのインストラクター[4]やサーキットトレーニングのトレーナーを務める。[5]2018年8月、新設チームのリガーレ仙台の監督就任が報じられた[6]。
エピソード編集
船崎の座右の銘は「継続は力なり」。この言葉を胸に、幾多の挫折や休部の波を乗り越えてきたといえる。
球歴編集
- 所属チーム履歴[9]
脚注編集
- ^ 新加入選手のご紹介 - ウェイバックマシン(2011年12月6日アーカイブ分) - PFUブルーキャッツ公式サイト
- ^ PFUブルーキャッツ. “引退選手のお知らせ”. 2013-05/31閲覧。
- ^ “元トップバレーボール選手が第二のステージに大丸プランニングを選んだ理由〜入社前の本音〜 | 株式会社大丸プランニング” (英語) 2018年9月16日閲覧。
- ^ “【社内養成報告】元バレーボール選手がPSGAマットピラティス養成コースを受講しました! | 株式会社大丸プランニング's Blog” (英語) 2018年9月16日閲覧。
- ^ “夏に向けて体も心も意識を高く!元プロバレーボール選手が担当するサーキットトレーニング! | 株式会社大丸プランニング's Blog” (英語) 2018年9月16日閲覧。
- ^ “仙台に女子バレー新チーム 佐藤あり紗選手が加入、来秋のVリーグ目指す”. 河北新報 (2018*-08-04). 2018年8月5日閲覧。
- ^ SATO, 佐藤あり紗/ARISA (2019年9月14日). “天皇杯.皇后杯…”. @0718ari. 2019年10月3日閲覧。
- ^ “船崎恵視監督辞任のお知らせ | Ligare”. リガーレ仙台. 2019年10月3日閲覧。
- ^ 月刊バレーボール 2012年12月号臨時増刊 V.LEAGUEチームの顔 127ページ
参考文献編集
- 月刊バレーボール 2010年3月号 25ページ
- 2015年度秋季関東大学バレーボールリーグ戦 公式プログラム 118ページ