倭漢 比羅夫(やまとのあや の ひらぶ)とは、飛鳥時代豪族。冠位は大山。倭漢荒田井比羅夫(やまとのあや の あらたい の ひらぶ)・荒田井比羅夫ともいう。大化の改新の時期に、土木の分野で活躍した。

出自

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荒田井氏の氏名は尾張国愛智郡荒大郷(現在の愛知県名古屋市緑区鳴海町に比定)に基づくと思われる。『坂上系図』が引用している『新撰姓氏録』「右京諸蕃」上の坂上大宿禰条の逸文に、「刀禰直」の子孫として「荒田井忌寸」がある。

経歴

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日本書紀』によると、大化元年(645年)7月、尾張国に派遣され、神にたてまつる幣(まいない)を課している[1]

大化3年(647年)、工人として溝涜(うなて)を誤って難波に引き、掘り直させて百姓(人民)を疲労させたという。孝徳天皇は比羅夫の誤った判断を聞き入れて、無駄な溝を掘ったのは自分の過失だとし、同時に比羅夫の役(えだち)を中止した。この時の冠位は大山[2]

白雉元年(650年)、難波長柄豊碕宮造営のため、古墳を壊された人、移住を命じられた人に物を賜与された際に、派遣されて宮の境界標を立てた。この時、将作大匠[3]

以降の事績は記述されていない。

脚注

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  1. ^ 『日本書紀』孝徳天皇 大化元年7月10日条
  2. ^ 『日本書紀』孝徳天皇 大化3年4月是歳条
  3. ^ 『日本書紀』孝徳天皇 白雉元年4月10月条

参考文献

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