蒙ゴウ

戦国時代末期の秦の将軍
本来の表記は「蒙驁」です。この記事に付けられた題名は、技術的な制限により、記事名の制約から不正確なものとなっています。
姓名 蒙驁
時代 戦国時代
生没年 生年不詳 - 前240年始皇帝7年)
字・別号 〔不詳〕
本貫・出身地等
職官 将軍〕→上卿〔秦〕
爵位・号等 -
陣営・所属等 昭襄王孝文王荘襄王

始皇帝

家族・一族 子:蒙武 孫:蒙恬 蒙毅

蒙 驁(もう ごう、? - 紀元前240年)は、中国戦国時代末期のの将軍。蒙武の父。蒙恬蒙毅の祖父。の出身。

略歴編集

紀元前249年(荘襄王元年)、を伐って成皋と滎陽を取る。

紀元前248年(荘襄王2年)、の高都と汲を攻めた。また、の楡次・新城・狼孟とを攻めて37城を得る。

紀元前247年(荘襄王3年)、魏の信陵君が五カ国連合軍を率いて秦を攻めてきたのを王齕と迎え撃ったが敗れ、軍は河内から河外(河南の地)に退却し、その軍を解いて去ってしまった。

紀元前246年(始皇帝元年)、晋陽で反乱が起こり、これを平定した。

紀元前244年(始皇帝3年)、韓を攻めて13城を取る。

紀元前242年(始皇帝5年)、魏を攻めて酸棗(現・河南省)など20城を奪い平定し、はじめて東郡を置いた。

紀元前240年(始皇帝7年)、死没。

関連項目編集

史料編集