許 黄玉(きょ こうぎょく、허황옥、ホ・ファンオク32年 - 189年)は、金官伽倻の始祖首露王の妃[1]。金官伽倻の第2代の王居登王を生む。

許黄玉
Queen Suro Tomb1.JPG
墓所
各種表記
ハングル 허황옥
漢字 許黄玉
2000年式
MR式
Heo Hwang-ok
Hŏ Hwang'ok
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許黄玉はインドのサータヴァーハナ朝の王女で、インドから船に乗って48年伽耶に渡来し、首露王と出会い、その時にインドから持って来た石塔と鉄物を奉納した。許氏は首露王との間に10人の息子をもうけたが、そのうち2人に許姓を与え、それが金海許氏の起源とされる[2]

2004年の学会発表によると、許氏の「インド渡来説」には遺伝学的根拠がある。金海にある古墳の、許氏の子孫と推定される遺骨を分析した結果、ミトコンドリアDNAは(韓民族のルーツである)モンゴル北方系ではなくインド南方系の特徴を備えていた[2]

インドから持ってきた石塔

伝説編集

『三国遺事』巻二「紀異」の駕洛国記の条に、次のような記述がある。古代朝鮮の部族国家ができあがる時の神話として解釈されている[3]

あらすじ:阿踰陀(あゆだ)国の黄玉の両親に夢のお告げが下った。曰く駕洛国(金官伽倻)の首露王は天が遣わした特別な人間であるが、いまだ独身だ。黄玉を送り妻とするようにと。黄玉は海から蒸棗(なつめ)を求め、天に昇って蟠桃を得ると[3]首露のもとにやってきた[4]。なお、蟠桃は神仙思想に現れる長生不死の桃で、昆崙山にある「玉桃」とか仙桃山に実る「仙桃」とも呼ばれる[5]

釜山広域市と金海市は、「許王后婚行ロード」の観光商品化にむけた「許王后婚行ロード再現および祝祭事業」に共同で取り組んでいる。同ロードは、インドからやってきた黄玉が金海に到着した地点をスタートとし、結婚式を挙げたところをゴールとする(望山島(鎭海龍院)→維舟岩→興国寺→金首露王凌)。長期的ビジョンとしては、同 ロードのユネスコ世界文化遺産登録を目指している[6]

その他編集

金官伽倻は良質の鉄に恵まれ、中国や日本に輸出して栄えた。鉄の武器のほか、小さな鉄のインゴットを製造した。これは貨幣のような交換手段に使用した[7]

釜山広域市海雲台区の冬柏公園には、「海を渡って恩恵王に嫁いだ黄玉姫」の伝説に基づく人魚のブロンズ像がある[8]。ここでの黄玉姫を許黄玉と同一視する郷土史家もいる[9][10]

家族編集

出典編集

  1. ^ 佐々木道雄「人物朝鮮史(77) 首露王后・許黄玉」『むくげ通信』第105号、むくげの会、神戸市灘区、1987年11月29日、 15-16頁。
  2. ^ a b 中央日報 2004.
  3. ^ a b Jo 1999, p. 111-112.
  4. ^ Yon 2011, p. 95.
  5. ^ 1999, p. 415.
  6. ^ TPO 2014, p. 29.
  7. ^ 『韓国の中学校歴史教科書―中学校国定国史』三橋広夫訳、明石書店〈世界の教科書シリーズ13〉、2005年8月31日、42頁。ISBN 4-7503-2175-3
  8. ^ 釜山広域市 2020.
  9. ^ 崔 2010.
  10. ^ 恩恵王と首露王では時代があわない

参考文献編集

  • 金首露王の夫人の「インド渡来説」科学的な証拠”. japanese.joins.com. 中央日報 (2004年8月19日). 2020年7月3日閲覧。
  • 崔ヨンチョル (2010年2月5日). “海の囁きが耳を快く擽る”. japanese.busan.go.kr. 釜山広域市. 2020年7月3日閲覧。
  • 海雲台”. Dynamic BUSAN. Busan Metropolitan City(부산광역시, 釜山広域市). 2020年7月3日閲覧。
  • 釜山・金海(韓国) TPO主管し、「許王后婚行ロード観光商品化事業」を推進」『TOURISM SCOPE』第30号、アジア太平洋都市観光振興機構、2014年、 29頁、 ISSN 1739-50892020年7月3日閲覧。
  • 曺述燮(チョ・スルソップ, JO Sulseob)「『三国遺事』に現れる夢 ―その(1)―」『愛知淑徳大学論集. 文学部篇』第24号、1999年3月10日、 111-112頁。
  • 延恩株(YON Eunju)「新羅の始祖神話と日神信仰の考察 ― 三氏(朴・昔・金)の始祖説話と娑蘇神母説話を中心に ―」『言語文化研究』第2号、桜美林大学、2011年、 95頁。
  • 袁珂『中国神話・伝説大事典』鈴木博訳、大修館書店、1999年。