本来の表記は「趙成」です。この記事に付けられた題名は技術的な制限または記事名の制約により不正確なものとなっています。

趙 成珉(チョ・ソンミン、韓国語:조성민、1973年4月5日 - 2013年1月6日)は、韓国プロ野球選手投手)、野球指導者。ソウル特別市出身。名前は「趙成民」とも表記。

趙 成珉
Cho, Sung-Min
基本情報
国籍 大韓民国の旗 大韓民国
出身地 ソウル特別市
生年月日 (1973-04-05) 1973年4月5日
没年月日 (2013-01-05) 2013年1月5日(39歳没)
身長
体重
194 cm
95 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1996年
初出場 NPB / 1997年7月5日
KBO / 2005年8月15日
最終出場 NPB / 2002年6月2日
KBO / 2007年6月29日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
チョ・ソンミン
各種表記
ハングル 조성민
漢字 趙成珉
発音: チョ・ソンミン
ローマ字 Jo Seongmin
本人表記: Cho Sung-Min
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経歴編集

韓国アマ球界のエースとして活躍し、1996年読売ジャイアンツへ入団。1年目は一軍登板がなかったが、2年目の1997年後半から一軍に昇格。速球とスライダーを武器に抑えとして活躍し、あこがれの宣銅烈とも投げ合うなど徐々に頭角を現す。1998年は先発に転向し開幕からローテーションの一角に入り、好投しても負ける不運等があったが前半だけで6完投3完封で7勝を挙げエースの座を掴みかけたが、この年のオールスターゲームの登板で右ひじを故障。その後一軍登板できずシーズンを終えた。この怪我以降一転して不運なプロ野球人生を辿る。

以降は右肘の手術リハビリなどで、大きな活躍は見せられなくなる。2000年、韓国の人気女優チェ・ジンシル(崔真実)と結婚。2002年5月のヤクルト戦で約2年ぶりの先発勝利をあげたが、その年のオフに巨人を戦力外となった。

1998年のオールスター戦での肘の故障以降の低迷の原因は、当時の横浜ベイスターズ監督の権藤博のせいだと宝島社『巨人軍タブー事件史』内のインタビュー「憎んで愛したジャイアンツ」の中で語っている。本人によると「権藤に『肘が痛いので交代したい』と日本語で申し出たが、権藤は『こいつ何言ってるんだ』としらを切った」との事である。一方で、杉村繁は趙自身が出場できるという意志表示を行っていたと反論している[1]

巨人退団後は、韓国プロ野球入りを狙うが、交渉に失敗しオファーはかからなかった。この頃にはチェ・ジンシルとの関係も悪化し、公私共に苦難の日々が続いた[2]

2003年2004年に韓国プロ野球にドラフト参加申込書を送付するが、全ての球団から拒否された[3]。一時引退し、韓国でシュークリームビアード・パパ)のチェーン店事業を起こすが失敗に終わる。2004年8月には親族への暴力容疑で逮捕された。その後は調停で起訴猶予となり釈放され、チェ・ジンシルとは正式に離婚した。

2005年からは韓国で解説者として再び野球に携わっていたが、5月5日にハンファ・イーグルスと契約を交わし、契約金無しの年俸5000万ウォンの条件で3年ぶりに現役復帰した。8月15日に一軍デビュー。4番手投手としてマウンドに上がり、1回1/3イニングを投げ、勝利を挙げた[4]。しかし、2007年10月22日にハンファを戦力外となる。

2008年からは解説者に復帰し、韓国では史上初となる元現役選手の野球エージェントとしての活動も始めた。また母校・高麗大学校のインストラクターなど指導者としての活動も始め、2011年1月斗山ベアーズの2軍リハビリコーチに就任し、翌2012年からは2軍ブルペン担当に変更となったが、同年10月に斗山を退団した。

2013年1月6日、ソウル特別市江南区のマンションで、交際女性の家で首をつっている状態で発見され、死亡が確認された[5]。39歳没。直前に交際女性から別れを告げられていたことが判明している[6]。1月中旬には家族などにあてられた遺書が見つかり、解剖の結果から警察により自殺と断定された[7]

論争と疑惑編集

2002年12月に離婚したいと訴える記者会見を開いた。その場で、自分がなぜチェ・ジンシルと離婚したいと思うかについて、記者団に説明した。その過程で自分が不倫​​を犯したという疑いを受けているという事実も明らかにしたが、その時に不倫相手と疑われた女性について言及し、男女の仲ではなく、「共同経営者の友人としての関係」と話した[8]

2002年8月と10月、事業投資資金の名目で、チェ・ジンシルの母とその弟から借金をした。2002年12月の記者会見後は、その借金に関して贈与だと主張し始めた。これに対して2億ウォンの貸付金返還請求訴訟を起こされた。2004年8月、裁判所は成珉に合わせて1億8750万ウォンを賠償するよう判決を下した[9]

元妻のチェ・ジンシルも2008年10月2日に自殺している。

詳細情報編集

年度別投手成績編集





















































W
H
I
P
1997 巨人 22 0 0 0 0 1 2 11 -- .333 111 28.0 16 1 13 0 1 30 2 0 10 9 2.89 1.04
1998 15 15 6 3 1 7 6 0 -- .538 433 104.2 96 4 34 0 4 83 2 2 36 32 2.75 1.24
2000 10 1 0 0 0 1 2 0 -- .333 64 14.0 20 2 5 1 0 9 0 0 9 6 3.86 1.79
2002 6 1 0 0 0 2 0 0 -- 1.000 49 11.2 12 1 2 0 0 5 0 0 3 3 2.31 1.20
2005 ハンファ 16 0 0 0 -- 2 2 0 4 .500 101 19.1 30 1 9 0 6 8 0 0 15 14 6.52 2.02
2006 7 0 0 0 -- 0 0 0 0 ---- 39 6.2 12 1 6 0 0 4 0 0 6 5 6.75 2.70
2007 12 8 0 0 0 1 2 0 0 .333 191 43.0 41 3 19 2 5 18 0 0 23 20 4.19 1.40
NPB:4年 53 17 6 3 1 11 10 11 -- .524 657 158.1 144 8 54 1 5 127 4 2 58 50 2.84 1.25
KBO:3年 35 8 0 0 0 3 4 0 4 .429 331 69.0 83 5 34 2 11 30 0 0 44 39 5.09 1.70

記録編集

NPB投手記録
NPB打撃記録
NPBその他の記録

背番号編集

  • 51(1996年 - 1997年)
  • 21(1998年 - 2002年)
  • 99(2005年)
  • 1(2006年 - 2007年)
  • 86(2011年 - 2012年)

脚注編集

  1. ^ ZAKZAK2012年7月12日付”. 2013年1月14日閲覧。
  2. ^ 조성민 "야구선수로 남고싶다"” (韓国語). ニューシス. 2013年11月13日閲覧。
  3. ^ 조성민 한화 깜짝입단…재기 나서” (韓国語). 韓国日報. 2013年11月13日閲覧。
  4. ^ 対戦相手現代ユニコーンズの3番手投手は巨人時代の同僚鄭珉台
  5. ^ 元巨人の趙成ミン氏、自殺か ソウルで死亡”. 日本経済新聞 (2013年1月6日). 2013年1月6日閲覧。
  6. ^ 조성민, 자살 전 여자친구 이별 통보에 그만…” (韓国語). ハロルド·経済. 2013年11月13日閲覧。
  7. ^ “やはり自殺…趙成ミン氏の遺書見つかる”. デイリースポーツ. (2013年1月15日). http://www.daily.co.jp/baseball/2013/01/15/0005669676.shtml 2015年9月22日閲覧。 
  8. ^ 결별 선언한 최진실·조성민 커플 상반된 입장 쌍방 인터뷰” (韓国語). 女性東亜. 2013年11月13日閲覧。
  9. ^ 법원, 조성민씨 빌린 1억8750만원 최진실씨 가족에 돌려줘야” (韓国語). 東亜日報. 2013年11月13日閲覧。

関連文献編集

関連項目編集

外部リンク編集