軍刀利神社 (上野原市)

日本の山梨県上野原市にある神社。

軍刀利神社(ぐんだりじんじゃ)は、山梨県上野原市棡原にある神社。旧社格は村社[公 1]

軍刀利神社
所在地 山梨県上野原市棡原4134
位置 北緯35度40分14.66秒 東経139度7分23.02秒 / 北緯35.6707389度 東経139.1230611度 / 35.6707389; 139.1230611 (軍刀利神社 (上野原市))座標: 北緯35度40分14.66秒 東経139度7分23.02秒 / 北緯35.6707389度 東経139.1230611度 / 35.6707389; 139.1230611 (軍刀利神社 (上野原市))
主祭神 日本武尊
社格村社
創建 不詳 1048年(永承3年)[1]
例祭 4月19日[協 1]
地図
軍刀利神社の位置(山梨県内)
軍刀利神社
軍刀利神社
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概要 編集

かつては連行峰で笹尾根から分岐している万六尾根を多くの人が行き交い三国峠道と呼んでいたようで、軍荼利神社の参道は、甲斐(現上野原市)から武蔵(現檜原村)へ抜ける幹道であったようである[2]。木材・薪炭・茅草などの山林生産物の生産や搬出のために使われ、武蔵御嶽神社へ向かう御嶽講が歩いていたようである[公 2]

武州桧原、相州佐野川、並びに棡原の三郷の総鎮守とされ、三国山頭に座し、ここで祭祀が行われていた。かつて三国峠道が武蔵・相模・甲斐へ通じていた頃、人々は何かを祈念してこの神社を通過していた。 石楯尾神社は、かつては生藤山(三国山)の東、高津座つつぐら峯にあって奥の宮と呼ばれ、ふもとの蚕山には前社がおかれていた[3]

歴史 編集

  • 1334年(建武元甲戌年)3月に、当時の領主新田義貞朝臣が蚕山こやま931 m[4]の社添へに御堂を建て「五大明王の一尊で、南方に配置され、悪敵を退け、甘露で生あるものを救う」軍荼利夜叉明王[5]を祭った[注釈 1]
  • 400年以上前の室町時代の文禄年間(1593年 - 1596年)に野火の災に罹り現今の地に遷座[上 1][公 3]
  • 甲斐国志に軍茶利夜叉明王社棡原村鎮守永正8年(1511年)とある。
  • 軍刀利神社は軍神として信仰は篤く部門特に武田信玄や岩殿城(大月市)主小山田家累代からの厚い崇敬を集めていた[公 1][国 1]。武田信玄は自画讃水仙を奉献。上野原豪族加藤氏、小菅遠江守信影累代の主など、神社維持費を幕末に至るまで奉献していた記述がある[6]
  • 寛永9壬申年(1632年)に再建の棟札[7]
  • 寛政2庚戌年(1790年)に本殿・拝殿を建立[7]
  • 武神として日本武尊を祭神とする神社であると広く知られている[要出典][公 1]が、明治元年の神仏分離令と明治5年の修験道廃止令前までは古代日本において山岳信仰に発祥する修験道の大正院[注釈 2]が、神仏習合の神社である軍荼利夜叉明王社ぐんだりやしゃみょうおうの別当(管理)を務めて、修験者がその信奉者を増やしてきた。 明治時代に密教の軍茶利夜叉明王を廃止し、代わりに祭神の変更で武神としての日本武尊を祭神とした[1]軍刀利神社と改称した[国 1]。信仰の形も変わり、今日では縁結び、子宝、安産、厄除け、招福、延命長寿の神社である[協 2]

境内 編集

 
奥の院(撮影 2023年6月)
 
昭和28年4月15日に碑を奉納した建設者氏名を記す定礎
 
軍荼利明王 図像抄(平安時代
 
鎌沢尾根分岐(2023年5月)
 
元社・三国山(笹尾根)からの女坂分岐(2023年7月)

コンクリートで舗装された道を進むと一の鳥居、社務所(祭礼時には開く)、二の鳥居のある古い石段を登ると本殿(標高598.2 m)である。本殿横に奉納された剣は、日本武尊が東征の帰りに三国山の山頂で草薙の剣を神実かむざねとして祀ったことに由来している[公 1]

石楯尾神社には天磐楯あま のいわたてを東国の安定した治世のためここに鎮め、神武天皇を祀った。参道を更に進むと奥の院があり、ここには山梨県天然記念物のカツラの巨木とせせらぎがある。更に進むと、軍荼利山[注釈 3]1531年に武田氏が戦勝祈願をした元社もとやしろ(標高950 m)のある山頂に至る。所要時間は女坂をたどれば、奥の院から1時間で至る(なお三国山経由では1時間30分)。

戦前は武運長久を祈願する為、出兵前の兵士や家族の参拝が絶えなかったという[8]。400年の歴史の重みのある石段のたもとには、湧き水を引いた手水舎てみずしゃがある[協 1]

500年の歴史を持ち、福の神として地元の信仰が篤く、参道を修験者に代わり登山者が多く行き交う。

奥の院をさらに登ると上社が所在する。上社への参道は、三国山、生藤山熊倉山への登山道と重なっており、三国山・生藤山は環境庁が「どんどん登山をし、自然が愛され自然が守られるよう」と願って定めた関東ふれあいの道富士見のみちと呼ばれる登山ルート上に所在する。だだし歩行距離は女坂1.5 kmに対して500 m。男坂は一気に高度差 320 mを稼ぐ。

行事 編集

  • 1月1日 歳旦祭[協 3]
  • 4月19日 例大祭
  • 10月19日 秋祭
  • 11月23日 新嘗祭
  • 12月31日 除夜祭

交通 編集

鉄道利用
  • JR中央本線上野原駅下車。
    • (バス利用)「井戸」行きバス(富士急バス[9]で終点で下車[国 1]。徒歩15分。バス停「井戸」から軍刀利神社拝殿まで約1.2 km、カツラのある「奥の院」は更に約600 m先である。
    • (タクシー)「井戸」まで約12分(総距離約7.5 km)。
    • (徒歩)徒歩2時間33分(直線距離6.4 km)。
自動車利用
上野原ICから軍荼利神社駐車場までは直線距離約6.4 km
社務所の横と本殿の階段下に駐車場(15台)がある[公 1][8]
初詣で賑わう正月、新緑のゴールデンウィーク、秋の紅葉シーズンなどの繁忙期などにはさらに混雑し、駐車場が見つからない危険性もある。

白旗史朗と鳥居 編集

山梨県軍刀利神社奥の院と元社にある2か所の銀色の鳥居は、山岳写真家の白旗史朗が寄贈したものである。10年目の塗装作業を白旗大月後援会、地元上野原市の東斐山岳会、相模原市の藤野山岳会、NPO北丹沢山岳センターの手で2011年(平成23年)3月20日に実施した[N 1]。白簱史朗は2019年(令和元年)11月30日に逝去[一 1]

所在地 編集

  • 山梨県上野原市棡原4134

カツラ 編集

(文化財)

 
軍刀利神社の大カツラ 2023年6月
 
井戸のサイカチ 撮影 2023年7月

山梨県指定天然記念物 編集

奥の院には、山梨県指定の天然記念物(1961年12月7日指定)の樹齢500年のカツラがそびえ立つ。規模は、根廻りは斜面に沿って14.0 m、地面上より1 mの幹囲は9.2 m、樹高33.0 mである[国 1][県 1] [県 2][県 3][上 2][上 3][注釈 4]。社務所に掲示してる子どもの書いた絵地図によれば、「日照りが続いていてもここで雨乞いすると、カツラから水が湧き出て井戸の人々は水に困らなかった」と、言い伝えがあるという。

登山家で民族研究家の岩科小一郎の「軍荼利山縁起」[10]には、古老の言い伝えが書かれている。 「これより下方、約二丁に休み石と称する方形の奇石あり、傍らに泉湧き出る処あり。清澄なるひとつの水溜まりがあり、地廻り三丈五尺、目通り二丈三尺位の大桂の樹あり。一見荘厳霊地の処たるを感ぜしむ。すなわち日本武尊が長途の疲れを癒し、渇きを凌ぐため自ら汲みて用いたる処なりと伝う」

上野原市の元指定文化財 井戸のサイカチ 編集

参道入口の大鳥居の左脇に所在した樹高18.1 m、幹周3.12 mの井戸のサイカチは、樹齢は300年以上とされ、根元から幹にかけて空洞であった。倒木のため樹勢が著しく衰え、2015年に文化財指定が解除された[上 4]。樹相が口を開いて悲鳴をあげているようにみえる。樹勢は回復し難たいが若芽を出し一の鳥居の左脇に生育している。根元に軍荼利夜叉明王社の石碑が建つ。

注釈 編集

  1. ^ 軍荼利明王は三つの目、八本の手、そして蛇があちこちに巻きつく勇ましい姿で密教の仏様。名前はトグロを表すサンスクリット語のクンダリーニに由来する
  2. ^ 大正院は不動明王や役行者等を信仰・礼拝する山岳信仰の修験道行者・修験僧の住居を兼ねた草庵のようである。
  3. ^ 荼毘だび」(火葬)の意味で、「軍荼利明王」という神様に由来している。
  4. ^ 山梨県からは、他に中巨摩郡若草町の推定樹齢1000年三恵の大ケヤキ、富士吉田市の樹齢300年以上の夫婦檜、山梨市の樹齢300年以上の広瀬の大なら、北杜市樹齢2500年の山高の神代桜が登録されている

出典 編集

  1. ^ a b 軍刀利神社のカツラ”. 人里の巨木たち - 上越大学. 2004年2月13日閲覧。
  2. ^ 『ふじ乃町の古道』
  3. ^ 蘆田伊人 1985, pp. 353–356, 「新編相模国風土記稿巻之119 村里部 津久井縣巻之4」.
  4. ^ 守屋二郎 & 守屋益男 2017、及び国土地理院の地図
  5. ^ 軍荼利夜叉(ぐんだりやしゃ)明王立像 創建以来1200年以上”. 仏日山吉祥林 東光院 萩の寺. 2023年7月20日閲覧。
  6. ^ 社務所-神社めぐり
  7. ^ a b 上野原町誌編纂委員会 1975, p. 1002.
  8. ^ a b 軍刀利神社”. JAFナビ (2022年3月29日). 2023年6月6日閲覧。
  9. ^ 上野原駅発井戸行バス時刻表” (pdf). 富士急山梨バス (2023年5月17日). 2023年5月17日閲覧。
  10. ^ (『山麓滞在』所収)
上野原市資料
  1. ^ 発見うえのはら - 軍刀利神社のカツラ”. 上野原市観光協会 (2016年4月4日). 2023年6月14日閲覧。
  2. ^ 山梨県指定天然記念物「軍刀利神社のカツラ」”. 上野原市 (2016年4月4日). 2023年6月15日閲覧。
  3. ^ 軍刀利神社のカツラ」”. 上野原市教育委員会 (2023年1月23日). 2023年7月2日閲覧。
  4. ^ 発見うえのはら - 文化財コース”. 上野原市観光協会. 2023年6月14日閲覧。
山梨県関係資料'
  1. ^ 軍刀利神社のカツラ ー 山梨の文化財ガイド(データベース)”. 山梨県観光文化・スポーツ部文化振興・文化財課 (2023年2月17日). 2023年6月4日閲覧。
  2. ^ 県指定天然記念物”. 山梨県 (2022年4月17日). 2023年6月14日閲覧。
  3. ^ 山梨県上野原市のご紹介(上野原市のふるさと納税のご紹介)”. ふるなび (2018年2月8日). 2023年7月2日閲覧。
環境庁・農林水産省関係資料
  1. ^ a b c d 軍刀利(ぐんだり)神社のカツラ【山梨県】”. 環境省自然環境局生物多様性センター (2022年3月29日). 2023年6月4日閲覧。
公益社団法人資料
  1. ^ a b c d e 軍刀利神社 (ぐんだりじんじゃ)”. 公益社団法人やまなし観光推進機構 (2023年5月22日). 2023年6月4日閲覧。
  2. ^ コース NO.34軍刀利神社から三国峠を越え万六尾根、柏木野/日本武尊ゆかりの茅丸を越え、万六ノ頭へ/”. 公益社団法人 日本山岳会・東京多摩支部 (2016年4月4日). 2023年7月10日閲覧。
  3. ^ 軍刀利神社元社の立派な鳥居と小さな祠がある軍刀利山に、建てられた神社の由来を書いた石碑に記載あり-公益財団法人 日本山岳会 東京多摩支部 コースNO.33報告記事 2021年12月30日
一般社団法人資料
  1. ^ 白簱史朗写真館(岩殿山ふれあいの館)”. 一般社団法人白簱史朗保存会. 2023年7月9日閲覧。
NPO資料
  1. ^ 軍刀利神社鳥居と元社鳥居が白銀に輝く鳥居に生まれ変わった”. NPO北丹沢山岳センター北丹沢合同会社 (2011年3月20日). 2023年6月14日閲覧。
全国の市町村資料
協会と神社庁、協同組合資料
  1. ^ a b 軍刀利神社(旧指定村社)”. 山梨県神社庁 (2022年3月29日). 2023年6月6日閲覧。
  2. ^ 薬の休憩室(第22回):〜軍刀利神社のミステリー”. 協同組合 藤沢薬業協会. 2023年6月25日閲覧。
  3. ^ 軍刀利(ぐんだり)神社”. 国際教養振興協会 ICPA. 2023年6月14日閲覧。

参考文献 編集

この辺りを扱った江戸時代の地誌は、「甲斐国史」及び「新編武蔵国風土記稿」と「新編相模国風土記稿」である。

  • 蘆田伊人 編『新編相模国風土記稿』 5巻、雄山閣〈大日本地誌大系 23〉、1985年2月。ISBN 4-639-00451-6 
  • 上野原町誌編纂委員会 編『上野原町誌』 下、上野原町誌刊行委員会、1975年。全国書誌番号:73013035 
  • 飯能市史編集委員会 編『飯能市史』 資料編5(社寺教育)、飯能市、1982年2月。全国書誌番号:82024694 
  • 宗像兵一『東京起点沢登りルート100』山と溪谷社、2020年7月。ISBN 978-4-635-18054-2 
  • 守屋二郎、守屋益男『山梨東部の山登山詳細図』 東編、吉備人、2017年11月。ISBN 978-4-86069-532-3 
  • 『高尾・陣馬』 2013年版、昭文社〈山と高原地図 27〉、2013年。ISBN 978-4-398-75885-9 

関連項目 編集

外部リンク 編集