酒人明義
平安時代中期の官人
出自
編集酒人氏(酒人公)は朝廷で神酒の醸造を職掌とする酒人部の伴造[1]。継体天皇の皇子である兎皇子の後裔とする皇別氏族[2]。もとの姓は公だが、天武天皇13年(684年)八色の姓の制定により真人姓に改姓した[3]。
経歴
編集一条朝で史生を務めると、三条朝初頭の寛弘8年(1011年)中務録にあったことが見え、長和2年(1013年)正六位上・右少史の官職にあり、長和4年(1015年)までに左少史に昇任されるなど、文筆をもって朝廷に仕えた。しかし、長和5年(1016年)後一条天皇が即位すると、下僚の右少史であった津守致孝が先に右大史に昇任されており、何らかの理由で明義は超越されたと考えられる[4]。