銅矛

銅矛(島根県立古代出雲歴史博物館の展示)
概要編集
槍状の刃の下部が袋状になっていて(袋部)、そこに柄を差し込んで使用する。袋部の根本付近に半環状の耳が両側につくもの、片側だけのもの、つかないものなどがある。耳は布などを結びつけ柄が抜けないようにしていたようであるが、大型化し祭器用になるにつれ耳は旗を付けるなどに変容していったとみられる。
日本には中国大陸の遼河地域から朝鮮半島を経由して入ったと思われ、分布から多くは九州地域で生産されていたと思われる。その後、銅剣・銅戈などと同様に、しだいに大型化し祭器化する。
祭祀の際には、手鉾(てほこ)などの言葉から、柄を差し込まないで手で捧げていたと思われる。
出土分布編集
北部九州を中心に西日本で多く発見されている。
種類編集
- 狭鋒細形銅矛
- 狭鋒中細形銅矛
- 狭鋒中広形銅矛
- 狭鋒広形銅矛
年代的に細形から中細形・中広形・広形の順で変化してゆく。
関連項目編集
- 海外の青銅器
- Indonesian ceremonial bronze axes
- Bronze Age Britain - 日本と同様にソケット形式の鉾や斧が発掘されている。