鏡作坐天照御魂神社

奈良県磯城郡田原本町にある神社
鏡作神社から転送)

鏡作坐天照御魂神社(かがみつくりにますあまてるみたまじんじゃ)は、奈良県磯城郡田原本町にある神社式内大社で、旧社格県社。4から5世紀にかけて鏡類を製作鋳造していた鏡作部がこの地一体に居住し、御鏡(天照国照彦火明命)並びに遠祖(石凝姥命)を氏神として開いた神社であるとされる。

鏡作坐天照御魂神社

鳥居
所在地 奈良県磯城郡田原本町八尾816
位置 北緯34度33分41.5秒 東経135度47分38.7秒 / 北緯34.561528度 東経135.794083度 / 34.561528; 135.794083 (鏡作坐天照御魂神社)座標: 北緯34度33分41.5秒 東経135度47分38.7秒 / 北緯34.561528度 東経135.794083度 / 34.561528; 135.794083 (鏡作坐天照御魂神社)
主祭神 天照国照彦火明命
石凝姥命
天糠戸
神体 三神二獣鏡
社格 式内社(大)
県社
創建 崇神天皇6年(紀元前92年
本殿の様式 三間社春日造
別名 鏡作神社
例祭 10月25日
地図
鏡作坐天照御魂神社の位置(奈良県内)
鏡作坐天照御魂神社
鏡作坐天照御魂神社
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祭神

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祭神は次の3柱。

神名帳における祭神の記載は1座であり、社名は「鏡作に鎮座する天照御魂神の社」という意味であることから、本来は「天照御魂神」を祀った太陽信仰の神社とされる。神名帳では、天照御魂神社と称する神社は当社以外にも日本各地に点在するが、これらは天照大神(皇祖神)とは別の神格太陽神と考えられている。

歴史

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記紀によると、崇神天皇6年、皇居内で祀られている天照大神を畏れ多いとして笠縫邑の地に遷座したとし、社伝によると、「崇神天皇6年9月3日、この地において日御像の鏡を(天照大神の代わりとして宮中で祀る為に)鋳造し、天照大神の御魂となす。今の内侍所の神鏡是なり。本社は其の(時に試作された)像鏡を天照国照彦火明命として祀れるもので、この地を号して鏡作と言ふ」とある。この際に作られた試作の神鏡を御神体として祭祀し、天照大神が天岩戸に隠れた時に八咫鏡を作った遠祖である石凝姥命とその父天糠戸命をも併せて祀ったのが当社の起源とされる。『和名抄』には大和国城下郡の条に「鏡作郷」と記載があり、この地には仿製鏡の製作に従事した鏡作部(かがみつくりべ)が居住していたとされることから、当社の創建には鏡作部との関係が強いものと考えられる。更に近辺には鏡作伊多神社鏡作麻気神社といった神社があり、当社との関連が指摘されている。

 

大同元年(806年)には神封十八戸が寄進されている(『新抄格勅符抄』)。『延喜式神名帳』では大社に列しており、月次・新嘗奉幣に預ると記されている。

天安3年(859年1月27日、従五位下から従五位上の神階を賜る (『日本三代実録』)- 表記は「鏡作天照御魂神」

中世以降は鏡作三所大明神と呼ばれていたが、江戸時代田原本藩(当時は交代寄合平野家知行地)が設置されるまでは荒廃していたという。江戸時代以降は鏡業界からの厚い信仰がある。

明治に入り神仏分離令が出されると、当社の神宮寺であった真言宗飯趣山神宮寺聞楽院は廃寺となった。しかし、その鐘楼のみは残されて現在に至る。

1873年(明治6年)4月に郷社に列し、1936年昭和11年)には県社に列した。

神宝・三神二獣鏡がある。

境内

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本殿
 
御田植祭

交通アクセス

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関連項目

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参考文献

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  • 田原本町教育委員会 社頭案内板

外部リンク

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